活動レポート

第26回有識者会議 基調講演:重松清さん(作家)

第26回BMゲストスピーカー重松清氏「こころを育む総合フォーラム」の第26回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が7月23日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。  この日のゲストは作家・重松清さん(47)。子供たちや家族・学校をテーマに次々と問題作を書き続けている重松さんは、自身の豊富な取材体験と洞察に基づく報告を行い、出席したメンバーとの間で活発な意見が交わされた。 重松さんの報告要旨は、以下の通り。
今回のサッカー・ワールドカップ(南アフリカ大会)報道で印象的だったのは、マスメディアもインターネット上の書き込みも非常に「いびつ」だったことだ。本番前の岡田(監督)バッシングが、ふたを開けてみると手のひらを返すような称賛に変わった。 本田圭佑という、異端児扱いされていたワンマン選手が、チームにどんどんなじんでいく。デンマーク戦という予選を突破した大事な試合で、自分がシュートを決めてもいい場面で仲間にパスを送り、だめ押しの3点目を取った。子供たちの目に強烈な個性を見せつけたし、報道もどんどん変わっていく。彼は実は中学、高校、オランダでもキャプテンをやっていて、そもそもリーダーシップがあってチームをまとめるタイプだったのに、髪を金髪に染めているとか両手に腕時計をはめているとかいうことしか言われなかった。試合前にみんなで肩を組んで、君が代を歌った。最後のPK戦でも、みんなで肩を組み、1人の選手が失敗したのをみんなで慰めて、抱擁を交わしながら試合が終わった。 友情、努力、勝利という3原則。これはかつて、子供たちに一番影響を与えた「漫画」が掲げたものだ。子供たちのロールモデル(「○○のようになりたい」という憧れの対象)は、漫画の世界にあった。僕の接してきた子供たちを見ても、やはり友情というもの、友達とは何であるかを、ある種バーチャルな形で、ロールモデルを求めている。特に「スポ根」、スポーツ根性というものがあって、僕たちの子供時代の友情のモデルはスポーツにあったといえる。そういうスポーツの時代があって、その後、特に高校生たちに対して仲間、友情というものをロールモデルとして提示したのが、ロックバンドだった。70年代終わりから80年代前半にかけて、ロックバンドなど音楽にまつわる伝記、サクセスストーリーがあふれた。バンドブームのピークは80年代の終わり、昭和から平成に変わったあたりで、「イカ天」という深夜番組が人気を呼んだ。平成から90年代半ばになると、友情の延長線上に大きな成功があるというよりも、最初からビジネスとして、うまい人をピックアップして、練習させて、バンドにするというタイプが非常に増えてくる。 今、一番多いのは何かというと「お笑い」だ。師匠に弟子入りして成功を目指すのが昔は普通だったが、吉本興業が”お笑いの学校”をつくった。お笑いという進路。とんねるず、ダウンタウン、最近ではオードリーといった人気者が、そこから生まれる。一昔前の芸人の世界とは違う友情、仲間に基づくロールモデルが出来上がっている。これだけ貧乏をしてきて、相棒と出会って、今に至るという自叙伝が今は書店に何冊も並んでいる。勉強ができるとかスポーツが得意だとかいうことがリーダーの要因ではなくなって、「おもしろいやつ」という新しい価値観として出てきた。言い換えれば、コミュニケーション・スキル。それが下手な子供、スキルを持っていない子供は、非常につらくなる。 「おもしろいやつ」が教室のヒーローになりはじめた80年代初め「ネクラ」という言葉が生まれた。根が暗い。コミュニケーション・スキルを持っている子供がもてはやされる反動のようにネクラという言葉が生まれて、スポーツよりも勉強の成績よりも、休み時間にどう級友とコミュニケーションをうまく取らなければならないかということが、子供たちの一番のプレッシャーになってきた。自分に割り振られた「キャラ」(キャラクター)をどう演じるかが大変なのだ。高校1年生の1学期が一番大変。そこで「滑る」と「寒い」「痛い」と言われ続け、居場所がなくなる。 サッカーの話に戻ると、異端児だった本田選手が仲間として受け入れられていく、そしてPKを失敗した仲間を全く責めずに、みんなで励まして、慰めて、肩を組んで、頑張る。それはとても美しい姿なんだけれども、その引きかえに「いけにえ」が生まれてしまった。本田と入れかわるように、日本代表の主役の座からこぼれ落ちた中村俊輔選手だ。日本を出発するときは主役のはずだったのが、1カ月たったら、全く使われない補欠になってしまった。マスコミも少しいじわるな報道をしていたが、インターネットをのぞいてみると「ざまを見ろ」と非常に冷ややかだった。割を食う人間が生まれるという状況を歓迎してしまう、ある種の「悪意のガス抜き」、うっぷん晴らしとされた。 中村選手の悲劇を一般の子供たちの生活に置きかえてみれば、いじめというものも、ある種のいけにえと考えられるのではないか。1人のいけにえを置くことによって、その他大勢の子供たちが、いじめられる側にはいないで済むという安心感を得る例が、たくさんあるのではないだろうか。大人の世界でも何かをバッシングすることで一体感を得る、連帯感を確認し合うということはあると思うが、子どもたちの方は「何となくむかつく」。これは怒りではなく不快感だ。虫が好かない理由を論理的には説明できないだろう。だれかがむかついたと言えば、みんなからむかついたやつというキャラクターを与えられてしまう可能性がある。みんながむかついているから、むかついたやつになるのではなくて、先にこいつをむかつくやつにしようぜと決めたら、やること、なすことすべてが、むかつく方向に押しつけられてしまう。 だから、最近のいじめというのは、いつ、だれがいじめられるかわからなくなってしまったと言われる。昔だったら身体的に少し弱かったり、貧しかったりする者がいじめに遭ったが、今はもうだれがなっても不思議ではない。それはいじめられるというキャラクターの問題だからだ。そこに行きたくない、行くのが怖い。行くのが怖ければ、今そのいすを無理やり与えられてしまった、かわいそうな同級生に、そのいすに座り続けさせなければ、このいすが空いてしまったら、今度は自分が座らされるおそれがある。 僕は今、いじめというものをそんなふうに見ている。だから、いじめる側にも痛々しさがすごくある。特にいじめグループの中の一番下っ端の連中。例えば重松君という人間をみんなでいじめているとしよう。いじめグループの中の一番下っ端のやつに、上のやつが言うのは「おまえも重松にしてやろうか」という言葉。そう言われると、それは恐ろしいから絶対服従で、トップに従う。 そういう面で、いじめというのは一般的には圧倒的な強弱の差があり、反撃されるリスクを負わずに攻撃するのがいじめだと認識されているが、僕の見るところでは、そんなに余裕を持って勝ち誇ったいじめをしている人間だけではなくて、もっとせっぱ詰まり、もっとおびえながら、もっと痛々しくいじめている人間もいる。その痛々しさがあるから、いじめのトップに対する忠誠心を示そうとして、その彼らのやるいじめの手口のほうが、ずっと陰湿になり、歯どめがきかなくなってしまっているというのが、僕の感じているいじめの現状だ。友達をつくる、みんなとうまくやる、仲間を持つ、それはすごくすばらしいことだが、仲間がいることのすばらしさというのと、そこからこぼれ落ちてしまういけにえを置くことによって、仲間が結束するという恐ろしさは、決して反対、無関係なものではないのではないかと思っている。 学校で子供たちは、仲間が大切だと、明るく元気な子供になりなさいと言われても、しかし、もともとあまり元気ではない子もいる。もともとあまり明るくない子もいて、もともと仲間づくりのうまくない子もやはりいる。僕たちは、そういう子供たちを同級生として、おまえ暗いなとか、ネクラだなと笑っていたが、今、自分が親の立場になってみると、そのにこにこ笑えない子供たちの居場所を何とかつくらないと、全く元気のない子供たちに居場所をつくらないといけないだろうなと思うし、また元気である子と、友達がたくさんいる子との同調圧力みたいなもので、友達をいっぱいつくるには、1人いけにえが必要になるという発想の短絡だけは避けなければいけないと思う。 僕は小説の書き手として、なるべくコミュニケーション・スキルの高くない、具体的には吃音の少年などを、よく主人公にしている。うまくしゃべれない少年や転校生、その共同体の異物として入ってくる少年を好んで主人公に据えて、少しでも明るく、元気に、朗らかにではない仲間のロールモデルを、間違ってもお笑い芸人にはなれそうもない連中たちの友達をめぐるロールモデルをつくろうとして、小説を書いているところだ。