活動レポート
第32回有識者会議 基調報告:市川伸一さん(東京大学大学院教育学研究科教授)
- 2013年11月20日
- 有識者会議
「こころを育む総合フォーラム」の第32回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が10月9日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。
この日は、メンバーの市川伸一・東京大学大学院教育学研究科教授が「東大生に見る大学と進路への志の変化」というテーマで基調報告を行い、次世代に継承したい日本人のこころのあり方をめぐって、出席したメンバーの間で熱心に議論が交わされた。
市川教授の報告要旨は次の通り。
高度成長期まで、学業優秀な生徒に対して社会から期待が寄せられ、本人にも志があった。東京大学には、国を支えて行政に携わる官僚、財界で活躍する企業エリートとともに、学術研究者、技術開発者を輩出する人材育成の場という役割があった。学生は、自己実現と日本を支えていく使命感・責任感を両立させていた。学生運動の時代にも、大人には任せておけない、自分たちが改革の担い手になっていくという意識があった。 その後、安定成長、バブル崩壊を経て、学生気質が大きく変化し、安定志向やリスク回避が非常に強まった。80~90年代のゆとり教育で、それまでの偏差値教育、学業一辺倒、受験戦争から脱却する狙いで価値観が多様化した。「勉強ができる」価値が子どもの間で低下し、「勉強ができないのも個性」とされ、公立学校は勉強を押しつけることを回避して宿題も極端に減った。学校は週5日制になり、日本の子供の家庭での学習時間は先進国の中で最低レベルに。かわって、テレビゲームやテレビに費やす時間が最長になった。受験勉強はシステム化され、塾、予備校、あるいは中高一貫私立という、受験に特化した環境が次第に拡大していった。このころから、使命感とか責任感を伴ったエリート意識、社会的な問題意識が、学生の間で希薄化していったように思う。 私が東大に移ってから約20年間の学生や大学院生の変化を話したい。まず、学問的志向について、アカデミックなことに対する思い入れとか憧れとかが極端に減少した。 東大では、入学後1年半で専門学部への進学振り分けがある。希望学部に入れるかどうかはこの間の成績次第なので、点数のとりやすそうな科目で成績を上げて希望の専門学部に行こうとする傾向がある。専門学部では負担の大きい科目は割が合わないと回避され、学生は単位を確保しつつ、早目に就職活動を始める。最近は卒業論文になかなか取り組まないし、内容も非常に薄い。専門書や教養書をあまり読まず、東大生の読む本ベスト5に少年マンガ週刊誌が入る状況だ。学生運動のころの「『資本論』くらい読んでおかなくては」という雰囲気はない。 私のゼミでは、学生が子供たちに個別学習相談を行って、わからなかったつまずきをさぐり出し、どんな指導をすればよかったのか話し合っているが、このゼミが最近敬遠される理由の1つに学生アルバイトの変化がある。以前は8~9割が家庭教師や塾講師をしていたから、子供たちにわからないことを教える場面はふんだんにあった。ところが最近は、まとまって稼げる居酒屋やコンビニのアルバイトが多い。子供たちに勉強を教えると、わかってくれて、「うれしい」と言ってくれる。そういうことに魅力を感じなくなっているのではないか。相当勉強してきたはずの東大生が、「勉強は面白い」という感覚を、システム化された受験環境の中で感じなくなってしまったのではないか。 また、大学院への進学も非常に深刻だ。専門的すぎて年齢も上がり企業への就職が閉ざされてしまうことから、博士課程まで進学しない例が増えている。優秀な先輩が30歳で定職がない、結婚できないなど、リスクが大きい道に見えるようだ。就職活動の前倒し傾向も拍車をかけている。以前、優秀な学生はまず研究者の道を考えたが、優秀な学生がむしろ大学院に進まず企業への就職を考える。それでも大学院は定員を埋めようとするから、全体のレベルが低下する。後継者が育たないことは、文系、理系を問わず、かなり深刻な問題になっている。 もう1つ、官僚志向の低下も著しい。学術研究者と並び、優秀な官僚を輩出することも東大の役割だが、最新の人気業種は、金融・保険業、製造業、情報通信業。公務員人気は相対的に減少し、特に中央官僚は非常に負担が大きく、官僚バッシングもあり、憧れの職ではなくなってしまった。優秀な官僚が出なくなるのは、日本にとって大変なことだ。 今後どうするのか。明るい材料もある。東大生はけっして利己的ではない。東日本大震災のボランティア活動、環境問題などのサークルで活躍している。社会的ルールとかマナーに敏感で関心もある。女子は非常に元気で、ゼミとかイベントなどでリーダーシップをとろうとする人、実際にうまくマネージしてくれる人が増えている。 「自分にとってこれが天命だ」という使命感にどう火をつけていくか。社会人も含めて、刺激となるモデルと出会って感化され、なりたい自己を広げていく場がもっと必要ではないか。さらに、高い志を持った仲間集団への参加。大学だけではなく、例えば学会などに大学生にも出てもらい、活躍の場を設ける。大学は最終的なゴールでもないし、単に就職するまでの通過点でもないはず。大学は、学生がもっと様々な模索をし、自分の能力を自覚して磨いていくための、鍛錬の場になってほしいと思っている。
高度成長期まで、学業優秀な生徒に対して社会から期待が寄せられ、本人にも志があった。東京大学には、国を支えて行政に携わる官僚、財界で活躍する企業エリートとともに、学術研究者、技術開発者を輩出する人材育成の場という役割があった。学生は、自己実現と日本を支えていく使命感・責任感を両立させていた。学生運動の時代にも、大人には任せておけない、自分たちが改革の担い手になっていくという意識があった。 その後、安定成長、バブル崩壊を経て、学生気質が大きく変化し、安定志向やリスク回避が非常に強まった。80~90年代のゆとり教育で、それまでの偏差値教育、学業一辺倒、受験戦争から脱却する狙いで価値観が多様化した。「勉強ができる」価値が子どもの間で低下し、「勉強ができないのも個性」とされ、公立学校は勉強を押しつけることを回避して宿題も極端に減った。学校は週5日制になり、日本の子供の家庭での学習時間は先進国の中で最低レベルに。かわって、テレビゲームやテレビに費やす時間が最長になった。受験勉強はシステム化され、塾、予備校、あるいは中高一貫私立という、受験に特化した環境が次第に拡大していった。このころから、使命感とか責任感を伴ったエリート意識、社会的な問題意識が、学生の間で希薄化していったように思う。 私が東大に移ってから約20年間の学生や大学院生の変化を話したい。まず、学問的志向について、アカデミックなことに対する思い入れとか憧れとかが極端に減少した。 東大では、入学後1年半で専門学部への進学振り分けがある。希望学部に入れるかどうかはこの間の成績次第なので、点数のとりやすそうな科目で成績を上げて希望の専門学部に行こうとする傾向がある。専門学部では負担の大きい科目は割が合わないと回避され、学生は単位を確保しつつ、早目に就職活動を始める。最近は卒業論文になかなか取り組まないし、内容も非常に薄い。専門書や教養書をあまり読まず、東大生の読む本ベスト5に少年マンガ週刊誌が入る状況だ。学生運動のころの「『資本論』くらい読んでおかなくては」という雰囲気はない。 私のゼミでは、学生が子供たちに個別学習相談を行って、わからなかったつまずきをさぐり出し、どんな指導をすればよかったのか話し合っているが、このゼミが最近敬遠される理由の1つに学生アルバイトの変化がある。以前は8~9割が家庭教師や塾講師をしていたから、子供たちにわからないことを教える場面はふんだんにあった。ところが最近は、まとまって稼げる居酒屋やコンビニのアルバイトが多い。子供たちに勉強を教えると、わかってくれて、「うれしい」と言ってくれる。そういうことに魅力を感じなくなっているのではないか。相当勉強してきたはずの東大生が、「勉強は面白い」という感覚を、システム化された受験環境の中で感じなくなってしまったのではないか。 また、大学院への進学も非常に深刻だ。専門的すぎて年齢も上がり企業への就職が閉ざされてしまうことから、博士課程まで進学しない例が増えている。優秀な先輩が30歳で定職がない、結婚できないなど、リスクが大きい道に見えるようだ。就職活動の前倒し傾向も拍車をかけている。以前、優秀な学生はまず研究者の道を考えたが、優秀な学生がむしろ大学院に進まず企業への就職を考える。それでも大学院は定員を埋めようとするから、全体のレベルが低下する。後継者が育たないことは、文系、理系を問わず、かなり深刻な問題になっている。 もう1つ、官僚志向の低下も著しい。学術研究者と並び、優秀な官僚を輩出することも東大の役割だが、最新の人気業種は、金融・保険業、製造業、情報通信業。公務員人気は相対的に減少し、特に中央官僚は非常に負担が大きく、官僚バッシングもあり、憧れの職ではなくなってしまった。優秀な官僚が出なくなるのは、日本にとって大変なことだ。 今後どうするのか。明るい材料もある。東大生はけっして利己的ではない。東日本大震災のボランティア活動、環境問題などのサークルで活躍している。社会的ルールとかマナーに敏感で関心もある。女子は非常に元気で、ゼミとかイベントなどでリーダーシップをとろうとする人、実際にうまくマネージしてくれる人が増えている。 「自分にとってこれが天命だ」という使命感にどう火をつけていくか。社会人も含めて、刺激となるモデルと出会って感化され、なりたい自己を広げていく場がもっと必要ではないか。さらに、高い志を持った仲間集団への参加。大学だけではなく、例えば学会などに大学生にも出てもらい、活躍の場を設ける。大学は最終的なゴールでもないし、単に就職するまでの通過点でもないはず。大学は、学生がもっと様々な模索をし、自分の能力を自覚して磨いていくための、鍛錬の場になってほしいと思っている。