活動レポート

山折哲雄 × 滝鼻卓雄 第2回 西山記者はジャーナリストの鑑と言えるか


山折座長と対談していただく5人目の有識者には、元読売新聞東京本社社長の滝鼻卓雄氏を迎えて、日本の教養とジャーナリズムについて語ります。今回は第2回です。 ※対談(その1): 日本のジャーナリズムには教養が足りない img_23e37d37153dc2cfe9351ba122306379297131

大震災について報道されていないこと

滝鼻:日本のジャーナリズムが書くべきなのに書いていない身近な例を2、3挙げてもいいですか。 山折:どうぞ。 滝鼻:ひとつは、東日本大震災についてです。大震災については、被害者の救済、原発の後始末、放射能漏れなどの問題は、克明すぎるほどに報道されています。しかし一方で、震災によって潤っている人、たとえばはっきり言うと、仙台の繁華街や、深刻な被害を受けた地域で潤った人の話は出てきません。 補足すると、原発事故で出入り禁止になった地域にはコンビニが相当数あり、ATMも各所にありました。あの辺りの地域のATMを担当しているのは、銀行ではなく警備会社です。警備保障会社が現金を入れ替えているのです。ところが、震災直後にATMを回ったら、多くのATMが破壊されていたそうです。 この話はどこでも報道されていません。なぜこれを報道しないかというと、新聞記者には、大震災についての負の部分というか、被災者にマイナスになったり、特定地域に烙印を押したりするような報道はしてはいけない、という先入観が働くからです。 もうひとつの気になるニュースは、JR北海道の問題です。なぜあの会社だけ次から次へとトップや職員がミスを積み重ねるのか。誰でもピンとくるのは労使のなれ合いです。国鉄時代の労使関係がJR北海道だけ生きているのです。 私は、ミスが起きるのも、労働時間を短縮するためにいろんな制約があったからだと推測していますが、なぜ新聞記者はそういう質問をしないのか。あの頼りないJR北海道の社長の発表に頼るのではなく、観察力によって事実を積み重ねていって、もうちょっと内部に突っ込んだニュースを書かないのか。 これはやはり、前回、山折さんがおっしゃったように、ジャーナリストが見て見ぬふりをしているんだと思います。これはジャーナリストにとって、自分の命を失うに等しいことです。最近、私はこの2つのことが気になって仕方がありません。 山折:それはおそらくジャーナリズムの世界だけではなくて、大学にも当てはまります。日本の組織には、内部的な組織の恥部を暴露したり、仲間を裏切ったりするのはよくない、という心情が流れています。ですから、それを押し切ってやるとなると、職を失うぐらいの覚悟をしないといけない。

人格と仕事を切り離せない日本人

滝鼻卓雄氏イメージ

滝鼻卓雄(たきはな・たくお)
1939年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、読売新聞社に入社。論説委員、法務室長、社会部長、総務局長などを経て、2004年1月に読売新聞東京本社代表取締役社長兼編集主幹に就任。同年8月より、読売巨人軍オーナーを兼任。東京本社会長、相談役を歴任。著書に『新しい法律記事の読み方』(ぎょうせい・共著)、『新・法と新聞』(日本新聞協会・共著)がある。

滝鼻:それをやるのにいちばんいいポジションにいるのがジャーナリストです。大学なり会社なりは、どうしても自分を守ろうとする力が働きますので、大学の先生が、大学の恥部を暴くのをためらうのは理解できます。ただし、読売新聞の記者でも朝日新聞の記者でも、ジャーナリストは書くべきことを書いても会社をクビになるわけではありません。正当な行為であれば、組織はジャーナリストを守ってくれるはずです。 それなのに、ジャーナリストが書くべきことを書かないのは、職業としてのジャーナリストの質や能力がかなり低下してきた証拠ではないでしょうか。 山折:それはよくわかります。たとえば、最近は光が当てられるようになりましたが、(沖縄返還をめぐる日米の密約を暴いた)西山太吉記者の半生は非常に孤独で、ある意味では悲しくつらい人生だったと思います。なぜそうなったかというと、女性との関係です(編集部注:西山氏は、外務省の女性事務官との不倫関係を通じて密約情報を得た)。当時は、世論、マスコミが一緒になって西山氏を批判しましたが、その女性問題を批判する眼差しとはいったい何かということです。 西洋であれば、個人的なプライベートな話と、彼の主張や仕事に対する評価は切り離すはずです。しかし、日本ではそれが一緒になってしまう。人格と職業は一体のものだというのが日本人の感覚です。ヨーロッパでは、職業的な仕事をきちんとやっていれば多少は人格的に外れたことやっても、それは大した問題ではないという部分があります。 学問の世界でも同じです。学問の評価は、新しい発見を1ページ1行付け加えられるかどうかですが、日本の場合は、人格性が伴ってしまう。人間的に問題のある学者は、評価が上がりにくい。 滝鼻:私は、人格と仕事とは、多少のズレがあってもしょうがないという考え方です。フランスの大統領しかりです。歴代大統領の中には人格的には問題があった方もいた。

西山記者が記事を書いていない

滝鼻:今、山折さんから西山事件の話題が出ましたが、実は私は、西山事件を発生当初から最高裁判決まですべてフォローしています。 最近、亡くなった堤清二さんが「最近の新聞記者は西山みたいに骨っぽくない」と嘆いていましたが、私は堤さんに「それは間違いですよ」と反論しました。なぜかというと、西山記者は、日米沖縄返還交渉の密約の原本文を入手しながら、毎日新聞にきちんと記事を書いていないからです。 一時期、特定秘密保護法案について、いろんなコメンテーターがテレビや新聞に出ていましたが、私は読売新聞のデスクに「西山さんはコメンテーターとして使ったらダメだ」と助言しました。西山さんは、テーマとしてはぴったりかもしれませんが、あれだけの大きなニュースを入手しながら、正面から書かずに逃げた人です。普通だったら毎日新聞一面トップの大ニュースなのに、囲み記事でちょろっと出ただけです。 それなのに、なぜ密約の話が表に出たのかは、はっきりわかりません。それについては、毎日新聞も西山さんも担当弁護士も秘密にしています。どういうルートかははっきりわかりませんが、当時、社会党の代議士だった横路孝弘氏に本文の写しが渡って、彼が国会で暴露しました。ただ、暴露の仕方が下手で、ある外務省の審議官のところで決済印が止まっていることがわかる写しを出してしまった。その審議官の秘書があの女性でした。
山折哲雄座長イメージ

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

西山記者の行為は、二重の意味でいけないことです。ひとつ目に、記事にしなかったこと。もうひとつは、自分で入手したニュースをほかの目的に利用したこと。つまり、自分で書かずに、国会で利用したということです。 この私の意見は、当時、西山弁護団の団長をやっていた伊達秋雄さんや、同じく弁護人を務めた、元最高裁判事の大野正男さんには何度も伝えましたが、彼らは「われわれは知る権利というスローガンで戦うんだ。だから滝鼻くん、あまりそれを言い立てないでくれ」と言っていました。 山折:意外ですなあ。 滝鼻:彼は女性事務官から入手した資料を基にして、ストレートな記事を書いていないのです。書いていれば立派なものです。今、何を言っても説得力がある。しかし、記事を書いていない以上、西山記者が特定秘密保護法の問題で脚光を浴びるのは、大間違いです。それなのに、彼が世間で注目されるようになったのは、山崎豊子さんが彼をモデルとして書いた『運命の人』の影響が大きい。あの本は、西山記者を善人にしてしまった。山崎さんが書けば、みな本当だと思ってしまいますよ。小説はフィクションですから、ウソを書いてもいいですが、それによって西山記者が英雄になってしまった。そこから間違いが始まり、堤清二さんもだまされた。 山折:私もだまされました(笑)。 滝鼻:当時は、毎日新聞の中では、西山記者逮捕にショックを受け、「このままではすまない、知る権利で戦うべきだ」という一種の“勢い”が生まれ、それが“知る権利裁判”になったようです。しかし、「毎日新聞で報道していないのに、戦いすぎるとまずい」という慎重派もいました。 あんまりこの話をすると、西山さんはまだご健在ですし、今やっと山崎さんに救われてコメンテーターとして活躍しているのに、水をかけるようなものですが。 山折:いやいや、今日はものすごくいい話を聞かせてもらいました。   (撮影:梅谷秀司) ※ 続きは次週掲載します