活動レポート

山折哲雄 × 中村桂子 中編 「人文学」の世界、なぜ貧しくなってきたのか―「技術の暴走」により起きつつあること


山折座長と対談していただく6人目の有識者は、JT生命誌研究館の中村桂子館長です。今回の中編では「暴走し始めた技術」「人文学の危機」について語り合っていただきました。 ※対談(前編): 「わかる」と「納得する」は、まったく違うもの

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科学は技術のためのものではない

山折:では、次のテーマとして人文学の危機について移っていきたいと思います。 もう30年くらい前かな。ロボット博士として知られる森政宏さんと対談したときに、彼がふっとこう言われた。 「科学の世界にはわからないことがある。しかし技術の世界にわからないことはない」 あのセリフは忘れられません。ついにここまで来たかと思いました。私にはiPS細胞も含めて、技術が暴走しはじめているという感じがするわけです。技術にも、ある程度は自己抑制が必要なのではないのかと思います。今の生命科学は、そこをどう考えているのか。 中村:そうですね。今は科学技術といわれますが、本来、技術は科学の前から存在していました。それこそ石器時代から技術はあったわけです。技術の中にわからないことがあったら、何が起こるかわからなくて恐ろしいことになります。たとえば自動車にわからないところがあったら、怖くて運転できない。森先生がおっしゃったのは、そういう意味だと思います。 科学は世界観を創るもので、技術だけのためのものではありません。もちろん科学技術は必要ですが、その場合「科学にはわからないことがある」ということを踏まえたうえで使わなければならないと思います。 山折:実は以前から心配していることがあります。科学技術の発達によって、人文学や社会科学など人間について研究する分野の学問が、非常に貧しくなってきている。消滅寸前の状態になっている気がすることです。 中村:大学の人文学科をなくすと文科省が言っていると聞いて、びっくりしました。

人間のことはサルを研究すればわかるのか

山折:それは非常に極端な方向ですが、それなりの理由があるだろうと思っています。それをちょっと聞いていただきたいのですが。 ひとつはですね。たとえば、類人猿研究、サル学がものすごく発達しはじめる。そうすると一般的に、「人間のことは猿を研究すればわかる」という短絡的な理解が広まる。類人猿の研究者の方々は決してそう思っていないでしょうけど、人文学の研究者のあいだにもそういう傾向があるように思います。 中村:えっ、本当ですか? それは違うと思いますね。
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中村桂子(なかむら けいこ)●JT生命誌研究館館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。

山折:もうひとつは、それと同じ現象ですが、たとえばロボット工学が発達すると、人工心臓から、最終的には人工知能まで作ることができる。それによって人間本来の存在とは何かという問題への関心が薄れてくる。3番目に、生命科学が発達して、ついに精子と卵子を製作できるようになった。 中村: iPS細胞などを使ってですね。 山折:それは最終的に生命をつくることにつながるかもしれない。そうすると生命科学の研究によって、人間の本質をある程度突き止めることができるという感覚が、一般の人のあいだにだんだん広がってくる。するとますます人間に対する関心が希薄になっていく。 「人間とは何か」という問題を考え続けてきた哲学とか歴史学とか宗教学には、千年、二千年の歴史があるわけですが、その有効性というか社会的な優位性がだんだん認められなくなってきている。これが根本的な危機だと私は思っています。そういう危機的な状況が出てきたときに文理統合という話が出てくるわけですよ。
実際に、今、人文系の学問を修めた人間が大学を出てどういう就職口があるか。理系の世界でどういう仕事ができるのか。このあいだ新聞に出ていて驚きましたが、そりゃ広報の仕事があるよ、営業の仕事があるよということです。もしこれが実態だとすれば、もう絶望的な状況です。 中村:恐ろしいことを伺いました。今までそのようには考えてこなかったので、今、ショックを受けているというのが正直なところです。私たち研究者は、科学で人間のことがすべてわかり、そうなれば哲学や宗教がいらなくなるなどとはまったく思っていません。 おそらく、科学は、社会に出て行くときに歪んでしまうのではないでしょうか。わかりやすい例が「進化」です。進化は、evolution(エボリューション)です。evolve(エボルブ)は「絵巻を開く」というところから来て、一般語としては「展開する」です。進化とは展開していくことです。生命誌研究館には扇型に多様な種が生まれていく様子を表した「生命誌絵巻」の展示がありますが、これが進化です。

今の社会の価値感は「進化」ではなく「進歩」

中村:ところが、今の社会の価値観は「進歩」です。これはひとつの価値観の中で上下を決める。だから「進歩」の場合、先進国と開発途上国があるわけですね。 でも生き物の世界では、ライオンとアリを比べてどっちがすばらしいかということはない。世界中にアリのいないところはありません。多様に広がっているという点では、アリほどすごいものはない。しかも女王アリを頂点とする社会をつくって暮らしているところは、ライオンより見事とも言える。だからアリとライオンを比べることには意味がないのです。
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山折哲雄(やまおり てつお)●こころを育む総合フォーラム座長。1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数。

今、進歩と進化を混同し、「現在の社会環境に適応できない者は消える」という意味で使われたりします。そして、先生がおっしゃった「サルのことがわかれば人間もわかる」と言ってしまう。人間を知る素材としてサルの研究は大事という位置づけです。私たちも伝え方が悪いのでしょう。 山折:伝えていくことも大事ですし、科学者自らが考えることが大事だと思います。iPS細胞の山中伸弥さんという方は、人間的にも研究者としても立派な方ですが、ただ山中さんは、「われわれは精子や卵子という生命の根源的な単位を作るところまできた。将来的には生命を誕生させることができるかもしれない。これは大変なことだから、どうぞ哲学とか宗教の世界の人々が考えてください」という意味のことを言っておられる。 とはいえ、それはやっぱり科学者自身もお考えいただかなきゃいけないのだというのが私の考えです。 中村:実態を踏まえて考えられるのは科学者自身ですから、おっしゃる通りです。精子や卵子は人工的につくれる時代ですが、哺乳類はお母さんのお腹の中でなければ育ちません。そこで赤ちゃんとお母さんをつなぐのが胎盤です。 魚などでは、受精卵全部が体になりますが、人間の場合は胞胚という軟式テニスボールのように真ん中が空洞の球ができて、その中に入った細胞が体になり、外側は胎盤になります。 ところが、iPS細胞は胎盤をつくれないのです。これが興味深いと思いますね。しかもこの胎盤づくりには、精子の遺伝子が不可欠です。このあたりが自然の妙だと思うのです。 山折:聖書の世界ですな、これは。
中村:本当に自然は不思議なことをしますね。胎児は胎盤を通してお母さんから養分をもらい、自分の老廃物をお母さんに返して、処理してもらう。このやりとりがなかったら赤ちゃんは育たない。その胎盤がお父さんの遺伝子でしかできないということは、なにかを教えてくれていると思います。 このような妙を知ると、いくら技術が進んでも、すべてが人間の思い通りになるわけではないと感じます。胎盤の話も最近わかったことです。

「役に立つ」とはどういう意味か

山折:そういう先生のお考えとか体験、実践を、これからの若い理系の学生たちに教えたいですね。 中村:そうですね。今のグローバル社会は効率や経済がすべてだという価値観が席巻しています。私は江上不二夫先生に育てられましたから、細々ながら、江上先生の理念を受け継いでやっているつもりです。でも社会全体はそうではない方向に行ってしまっているし、東京大学も京都大学も大阪大学もそうなっている。 そもそも「役に立つ」って何だろう?と思います。おカネが入り、株価が動いて、経済が活性化するのが「役に立つ」。そこに科学も貢献するということなんですよ。 そこで、政治権力というものに巻き込まれてしまう。政治家は橋や道路を造ることで力を示してきた。100億円ぐらいのおカネを動かさないと、何かやったという気にならないんですね。そうすると、「50億円あるから明日までにどう使うか企画書を書きなさい」、といった話まであるわけです。それは断るべきだと思うけれど、決して断らない。気持ちはわかります。でも、科学者の矜持としては、断るというのはありでしょ。そのうえで「私はこういうことしたいので、おカネが欲しい」と堂々と言ったらいいと思うのですが、それはできない状況です。これは科学のありようとして間違っています。政治に近くなったのは間違いです。 山折:そうですね。それを人文学も社会科学もまねしているんです。われわれの世界は鉛筆と紙があれば仕事ができますよ。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんだって、基本はそうだったと思います。 中村:あの時代までは鉛筆と紙です。懐かしいですね。 山折:鉛筆と紙は重大なキーワードですね。先ほど私、サル学について批判がましいこと言いましたけど、日本の類人猿研究というのは世界の最先端を行ってるわけですよ。なぜかというと、日本にはサルと人間は同等の関係だという世界観があるからだと僕は思っています。 中村:サルに一頭一頭、名前をつけますね(笑)。 山折:これはやっぱり大事にしていかなきゃならない。もっとも基本的な教養の原点だと思います。 中村:生命科学の研究者にとって、日本の自然の中にいるということ自体が大きなメリットだと思います。

明治時代は「文理融合」が掲げられていた

小学校の理科という科目は、明治のころにヨーロッパから科学を取り入れて作ったものですが、そのときにできた理科の指導要領に、理科の目標が書いてあります。ご覧になってみてください。 山折「自然に親しみ、見通しをもって観察、実験などを行い、問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに、自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り、科学的な見方や考え方を養う」というところですね。
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「日本人が自然を愛する心情を育てることを理科の目標に入れたのはすばらしいこと」(中村館長)

中村:後半は科学ですよね。でも前半の、「自然に親しむ」「自然を愛する心情を育てる」は科学ではない。日本人は自然に親しむ、自然を愛する心情を育てることを理科の目標に入れた。私、これはすばらしいと思うのです。 山折:文理融合をその段階でやっていたわけですね。 中村:そうなんです。明治にできた指導要領ですけど、今も同じです。でもグローバル社会で技術競争しようとおっしゃる方に言わせたら、こんなこと言ってるからダメなんだということになりかねない。でも今となっては、この考え方が世界をリードするのではないかと私は思っています。 山折:そのとおりですね。 中村:日本は明治のころからずっと、子供たちにこれを教えてきた。低学年のころはみんな理科が好きだけれど、だんだん嫌いになるとよく言われます。低学年のころは、「自然に親しむ」のほうが強いんですよ。だんだん上に行くと、理屈のほうへ行く。 山折:私も中学の実験室で嫌になりましたな(笑)。 中村:残念です。文科省の方は、改めてこれをよく読んでほしいと思います。 山折:それは、この対談では特筆大書しなければならない(笑)。いやいや、教えられました。   (構成:長山清子、撮影:ヒラオカスタジオ) ※ 後編は次週掲載します