活動レポート

第22回有識者会議 基調講演:アレキサンダー・ベネットさん(関西大学国際部准教授)

第22回BM ゲストスピーカー-ベネット氏 P1020361 「こころを育む総合フォーラム」の第22回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が7月10日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。今回のゲストスピーカーは、ニュージーランド人の武道家で関西大学国際部准教授のアレキサンダー・ベネットさん。剣道などの大切な心構えである「残心」ということを中心に、武道の精神についてスライドやビデオも使って熱く語り、フォーラムのメンバー16人のうち出席した8人との間で盛んな質疑応答が交わされた。ベネットさんの報告要旨は次の通り。
「残心」という言葉は、武道をやっている人はよく知っているが、一般にはあまり知られていない用語だと思う。たとえば弓道の場合、矢を放った後もずっとその矢を見る。終わった後も油断せず、ずっと集中している。これは武道にとっては非常に重要なことで、今でも武道の世界では、柔道にしろ、剣道にしろ、弓道にしろ、「残心」という言葉は使っている。 武道とほかのスポーツは、どう違うか。武道家はよく、武道がほかのスポーツより優れているのは勝ち負けではなく、一つの人間形成の道だからというふうに説明する。私は、どんな武道でも一応、スポーツの傘の下に入るものだと思っているが、やはり独特な特徴がある。 まず、普通の競技スポーツ(サッカーでも野球でも)はルールぎりぎりのところでプレーする。そこが面白くてエキサイティングなのだ。そのルールから少し外れれば反則、審判が気づかなかったらラッキー、ということになる。だから見ていて面白い。しかし、武道は「正々堂々」が理想とされている。ルールぎりぎりのところで、相手をだまして勝つのは評価されない。正直に技を出して打たれた、負けたというのであれば、それで「参りました! これからの稽古に一つの課題ができました!」という謙虚な気持ちになる。そこが重要だとされる。武道的な考え方はこういうことだ。 「残心」という言葉の由来はなかなか分からないが、剣道連盟の定義では「打突した後に油断せず、相手のどんな反撃にも直ちに対応できるような身構えと気構え」。剣道試合審判規則及び細則では、「残心」のあることが有効打突(一本)の条件になっている。どんなにすばらしい面打ちが決まっても「残心」がなければ、一本とは認められないのだ。 (ビデオを上映しながら)ご覧の通り、オリンピックで金メダルが決まった瞬間に、柔道選手はガッツポーズを取る。柔道界では、オリンピックの金メダルより上がない。オリンピック種目ではない剣道はどうか。2005年の全日本選手権大会の決勝戦。世界大会はあるが、やはり全日本チャンピオンになるということが剣道界では一番すごい。技が非常に早いから、どっちが勝ったか分からないかもしれないが、勝った人はうれしくて仕方がないだろうし、負けた方は涙が出るほど悔しいはずだ。が、どちらも、その気持ちを全く見せない。その場では絶対にそういう感情を見せずに、抑える。ガッツポーズなどせず、一緒に礼をして「はい、ありがとうございました」。これが「残心」なのだ。 高校生の試合でチームのインターハイ出場を決めた主将が、ちょっとガッツポーズをしたという理由で一本を取り消された場面も見てもらおう。「残心」がないから、という非常に厳しい判定だが、剣道の厳しさはそこにある。オリンピックの柔道のように、決まった瞬間「俺が一番じゃ~」「俺がチャンピオンだぜ~」と喜ぶのは、もはや武道ではないと思う。あれでは、ほかの競技スポーツと全く変わらない。いいか悪いかは別として「残心」がない武道というのは武道といえないということ。何があっても興奮せずに平常心でいる、感情を抑えるという「残心」。それが、昔の武士文化で生まれた生き残るための教訓ということではないだろうか。 武道の世界ではなくても、「残心」というものはある。たとえば山登り。聞いた話では登山家の事故の7割以上が、登っている時ではなく下りてくる時に起きるそうだ。登山家は頂上まで行くことを目的とする。登頂は「一本」と同じだが、問題は、一本取ってからどうするかだ。そこで気が抜けてしまうと事故、死に至る。昔の武士も、斬り合いで相手を倒してガッツポーズをしていたら、後ろから斬られてしまうかもしれない。斬ってからこそ慎重に、慎重にという姿勢が求められる。命懸けというのはそういうことだ。その意味では、「残心」というものは一つの勝ち負けが決まってからの勝負。一本取るまでは50%、一本取ってからも50%ということになる。 サッカーの試合でゴールを決めて、ガッツポーズをしすぎたからからといってゴールが取り消されるようなことは、ありえない。しかし武道では逆で、何があっても興奮してはいけない、何があっても油断してはならない、何があっても、うれしい気持ち、悲しい気持ち、悔しい気持ち、憎む気持ち、そんな感情を一切、抑える。感情を出すと「隙」が出て、それが大きな弱点になる。だから、何があっても平常心でいられることが武道の理想。ゆとりを持つ、何があっても常に節度ある態度を見せなければならない。 もう一つ、これは武道の「礼」というものだが、相手の気持ちを考えるということも大事だ。さっきの剣道の試合、全日本チャンピオンになった選手は、勝っても「俺はお前より偉い、強い」という気持ちを絶対に持ってはいけない。逆に「いや、今日は勝たしていただきました。ありがとうございました。明日は負けるかもしれません。お互いに頑張りましょう」という気持ちを持たなければならない。 そしてもう一つ。これは22年ぐらい剣道をやってきた私が、最近やっと分かってきたことだが、「人のせいにしない」という姿勢。どういうことかというと、生活の中ではいろいろある。失礼なことをしてしまうこともあるし、不景気で仕事をクビになることもあるかもしれない。山あり谷ありというわけだが、何があっても人のせいにしない。「残心」というのは自己責任ということでもある。何か悪いことがあった時、「あいつのせいだ」と思うのは無責任。「ああ、しもうた、財布をなくしてしまった。だめだ、俺の心に隙があった。もう少し気をつけないと」と反省する。それも「残心」だ。 さっきの剣道の試合で、ガッツポーズをした高校生が一本を取り消されたのを見れば、普通の人は「かわいそう」と思うだろう。けれども彼はたぶん、一生忘れないことを学んだと思う。常に平常心を保って人を思いやり、相手に失礼なことはしないということを剣道では厳しく言われるが、年を取れば取るほど、それは身につく。自分の行動に出てくる。試合場だけでなく日常生活においても「残心」があれば、人間として成長はできる。それこそ、人間形成の道といってもいいのではないか。昔の武士は「残心」があるかないかで生きるか死ぬかが決まる世界に生きたが、今は「残心」があるかないかによって、武道が有効な人間形成の道であるかどうかが決まってくる時代だと思う。