活動レポート

第24回有識者会議 基調報告:山折哲雄さん(座長、国際日本文化研究センター名誉教授)

「こころを育む総合フォーラム」の第24回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が12月8日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。 今回は、全国から募集した今年度の「こころを育む活動」について最終審査が行われ、全国大賞として山形県立置賜農業高校演劇部の「食育をテーマにしたミュージカルの制作・公演」を選出。続いて山折哲雄座長(国際日本文化研究センター名誉教授、宗教学)が、これまでの討議内容を振り返るとともに今後のフォーラムのあり方に資するべく、自身の考えを語った。 「日本人の死生観」を中心とする深みのある講話に、フォーラムのメンバー16人のうち出席した8人が熱心に耳を傾け、いずれも強い共感と感銘を受けた様子だった。山折座長の話の要旨は次の通り。 フォーラム座長として、議論を積み重ねる中でもどかしい思いをしてきたのは、「人の死」をどう考えるかという問題を集中的に取り上げられずにきたことだ。死を正面に据えて議論することを抑圧するような社会的風土、現代日本社会が根源的に持っている何かがあるのではないか。なぜ死の問題を主題化できない社会になってしまったのか。それが、奥深いところで子どもたちの「こころ」を育む重要なポイントを外させてきたのではないか。この問題を考えるには、二つぐらいの軸があるように思う。 一つは、我々の社会が最終的な目標として「生きる」「生き残る」という戦略を、特に戦後は疑うことなく続けてきた。もちろん、これにはプラスの面もあるわけだが、それを主張することによって何か大事なことを考える契機を失ってきたのかもしれないという側面もある。<生き残り戦略>の中身には経済的な繁栄、医学の進歩、人生80年という長寿化など、いろいろある。戦後半世紀以上、戦争も民族・種族紛争もないという経験も重要だろう。それから、災害に対する科学的、技術的な対応が実に優れていたということもある。それらが総合的に作用して、我々は<生き残り戦略>の成功を手にすることができた。これが、死の問題を正面に据えた生き方を抑制・抑止する力として働いている。努力すれば進歩する。そしてより良い生を享受できる。それを、ここでは<生き残り戦略>と考えておきたい。 しかし、にもかかわらず我々の社会は自殺、子殺し、親殺し、いじめ、暴力、キレる子どもたちの増加で社会的な不安や自信のなさが顕在化している。そういう社会的なマイナス、負の遺産に対して我々はどう対応してきたかというと、これは私の独断・偏見かもしれないが、キャッチフレーズとなった言葉が「サポート」「ケア」「支援」だ。そのための経済的・政治的な施策が行われ、サポート・ケア・支援のネットワークづくりこそが社会を安心・安全に導く重要なカギなんだという認識。この動き全体を<救命ボート思想>ということができるのではないだろうか。 細部を捨象して言うと、私は<生き残り戦略>と<救命ボート思想>が社会の道徳を支える機軸になってしまったと思う。もちろん、どちらも必要なことだ。が、それが我々を死の問題に直面させることを阻止する要因として働いている。この考えを突き詰めると旧約聖書の「ノアの方舟」に行き着くと思う。生き残る者と犠牲になる者、救命ボートに乗れる者と乗れない者。少なくともユダヤ・キリスト教の文明的<生き残り>の戦略となった。近代を準備し、今日までずっと続いてきた、救済と犠牲がセットになった思想だ。戦後、我々の生きるための道標として「生きる力」「共生」という言葉が社会的な結束・連帯のキャッチフレーズとなってきた背後には、この<生き残り戦略>と<救命ボート思想>が分かちがたく結びついている。 この問題を考えるうちに私は、我々の歴史、我々の先祖たちが歩んできた人生はいかなるものであったかを振り返ってみるようになった。そうすると、現在の人生80年という長寿社会はたかだか30年来のことで、それ以前は織田信長が「人生五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と幸若舞を舞った時代から、昭和までずっと人生50年できている。人生50年時代の人生モデルに「死生観」という言葉がある。この死生観という考え方の中に、我々の社会が培ってきた伝統的な価値観が凝縮されているのではないか。注意していただきたいのは、生と死ではなく死と生だという点。そして生と死を同じ比重で考えている点だ。少年が成長して社会人になり、働きづめに働いて30年もたてば死が足元に忍び寄っている。その現実をどう受け止めるかというところに生み出されてきた考えが、人生50年時代の死生観だった。 この人生50年時代の人生モデルだった死生観の考え方が、戦後、あるいは高度成長化の過程でだんだん希薄化してきた。80年時代になったとき、生と死の間に老いと病の問題が割り込んできている。今日の日本社会における政治的な混乱、危機意識の根底に、老いと病の問題がわだかまっている。そのことによって、死はさらに遠ざけられ、正面からとらえることができなくなっている。生き残り戦略と救命ボート思想に挟撃されて、死の思想というか死の人生観がますますやせ細ってきている。それが、子供たちだけでなく大人たちの心まで荒廃させる、不安に陥らせる重要な原因になっているのではないか。 そこで、人生50年時代の死生観、人生モデルの中に含まれていた思想的内実とは一体何かということになるが、私は仮説的に二つあると思う。一つは、<無常観>。これは、(1)この地上にあるもので永遠なるものはひとつもない (2)形あるものは必ず壊れる (3)人は生きてやがて死ぬ ということだ。私は「無常観の3原則」と呼んでいる。もう一つは<武士道>だろう。武士道の本質を突き詰めていくと、最後は死の問題に行き着く。人生50年時代の人生モデル、死生観の中心は<無常観><武士道>という二つの軸で考えて大きな間違いはないのではないか、と私は思っているわけだ。 アングロサクソン、西洋社会のリーダーたちが国家の危機、社会の危機的な状況に際して、信じていようがいまいが最後に口にする言葉は「神」だ。日本列島に培われた死生観、中核をなす「死」は、おそらくそれに匹敵する力を持ち得る言葉であり、観念であり、伝統的な価値観だったのではないかと思う。西洋社会の価値観は無常3原則を受け入れない生き残り戦略と救命ボート思想だから、死を正面に据えない。死を正面から考えることを拒否する文明なのではないか。そう考えたときに、これだけ西洋化し近代化した日本の社会において、無常観を中軸とする心のあり方、思想的基軸をどのように追求し、回復していくかが大変な問題なのではないかと思う。これから日本の社会がさらに成熟するためには、どうしても「死」の問題から目を離すことができない。これを正面からとらえて、それをどう引き受けるかを次の世代に教えていかなければならないだろう。私はそう思っている。