活動レポート
第39回有識者会議 基調講演:養老孟司さん (東京大学名誉教授)
- 2016年1月12日
- 有識者会議
「こころを育む総合フォーラム」の第39回ブレックファスト・ミーティング(有識者会議)が12月15日朝、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。
この日、「次世代に伝えたい日本人のこころ」をテーマに基調報告を行った解剖学者の養老孟司・東大名誉教授は、専門書からベストセラー『バカの壁』まで数多くの著書があり、趣味の昆虫採集でもよく知られている。今回は日本人の「供養」や「自己」についてユーモアを交えて自身の経験を語り、出席した有識者との間では一問一答を含め活気あふれる意見交換が行われた。養老さんの報告要旨は以下の通り。
私は今年(2015年)、鎌倉の建長寺に「虫塚」をつくった。年を取ると私の墓の話を女房がし始めたが、自分の墓のことなど考えたくないから放っておいたら、「じゃあ」と虫塚を提案された。私は子供の頃から虫の標本づくりを続けているので、これは断れない。うまいところを突いてきたなと思った。私は6月4日を勝手に「虫の日」と呼んでいて、今年の6月4日には初めてお坊さんに来てもらい「虫供養」をやった。虫の好きな知り合いを30人ぐらい呼んだが企業では唯一、殺虫剤で有名な「フマキラー」に声を掛けたのは、虫を供養してもらうにはちょうどいいと思ったからだ。 私は長いこと解剖をやっているが、日本中の医学部が毎年行っている解剖体の慰霊祭=供養は非常に歴史が古く、山脇東洋による最初の慰霊祭は1754年のことだ。東大医学部も始まった年から解剖とお寺での慰霊祭はやっていて、私もなんとなく参加していた。教授時代、国立大学の医学部が主催する宗教行事は憲法違反ではないかという声が出て、私は医学部長に言われて問題の背景をいろいろ調べてみた。ちょうど、例の靖国問題が最初に浮上した時期で、法学部の先生に相談に行ったら言下に「それはまずい」と言われた。新設医大は、学内に納骨堂を置いて無宗教で献花式をやっている。献体を望む人たちの団体で一緒にやってもらったらどうかと言われて、私はちょっと話の筋が違うと思った。 これは感覚的なもので、解剖では〝加害者〟である私の場合は〝被害者〟に対する気持ちを表さないと気が済まない。そういうことが日本の「供養」には含まれているのではないだろうか。靖国問題では千鳥ヶ淵に国立の墓地をつくれという意見もあったが、そこには当事者意識がないから私は賛成できない。戦争で亡くなった方は国の指導者の命令一下、出かけていっていわば被害に遭った人。だから、首相が加害者の気持ちを持って行くなら何が悪いと私は思うのだが、当時は完全に政治的な議論になっていた。供養ということを考えていてアメリカ人が書いた本を読んだら、世界中に支店があるケンタッキーフライドチキンで鶏供養をするのは日本支社だけで「カーネル・サンダースがそれを聞いたら墓の中でひっくり返るだろう」と書いてある。供養というものの観念が、日本と海外ではずいぶん違うのではないかということに気づかされた。外交問題の裏にも、これがあるような気がする。それで、虫供養をやってみようかなという気持ちになったわけだ。 一方で、私には「お墓って何だ」という関心があり、ヨーロッパのお墓をルポして『身体巡礼』という本にしたり「考えるヒト」という連載を続けたりしているが、献体・臓器移植・解剖で身体を提供した人の墓地が各国にあり、そういう人を祀るという気持ちはどの国にもあるが、日本では従来の「○○家代々之墓」が続きにくい時代になってきた。そこで、私が毎年、虫の日に虫供養をやっていて自分が死んだら、女房がそこをお墓にしてしまう。入りたい人はみんな入ればいい……つまり「趣味の墓」にしてはどうかということをちょっと考えた。ハードよりソフト。解剖体の慰霊祭が250年持ったように供養という形なら、私が死んでも誰かがやってくれれば行事として続く。そんな考えもあった。 私は虫捕りが発端で20年前からブータンへ行っているので、いろいろ知り合いがいる。ある時、偉いお坊さんが由緒あるお寺と本尊の再建が悲願だというのを聞いて寄付をした。地元の人の勤労奉仕をだいぶ必要とするから10年以上かかったが去年、それが出来たので行ってきた。今では仏教の立派な信者ということになっている。相当インチキ臭いが。そんなことがあって、もともと関係のなかった供養とか仏教にいつの間にか引き込まれ、昨日も築地本願寺の文化講座で話をしてきた。縁というのか何というのか、ついに半分坊さんにされているような気分。年を取ると、だんだんそういう感覚になってくるものだ。 もう一つ、私が関心を持って考え続けているのは「自己」というものについて。若い人や日本全体の考え方は前から混乱しているような気がしていて『「自分」の壁』という本も書いたが、どうも欧米の文化と日本の文化とではかなり大きな違いがある。一神教の世界、特に旧約聖書には「最後の審判」があって、私は中高がカトリックの学校だったから、最後の審判が非常に不思議だった。あれは世界の終わりに人々が全部、神様の前に呼び出されるわけだが、呼び出される「私」は誰かという問題。今の私が呼び出されるなら、まあまあ分かったような気がするが、これから先、私がやるかもしれない悪いことは関係ない。もしも今年から私がアルツハイマーになって、3年後に死んで呼び出された時、アルツハイマーのままで出ていったら神様が困るだろう。あの文化では、生まれてから死ぬまでの自分を一切ひっくるめた、ある種「抽象的な私」というものがあると思う。おそらくこれは日本にないだろう。仏教では何というか知らないが、大体「無我」っていうぐらいだから。 面白いのは夏目漱石の講演集『私の個人主義』だ。漱石は自己本位ということを言っているが、それは自分勝手とは全然意味が違う。彼は松山の中学の教師になり、その後は熊本の高校に行き、やがて文部省の命令でロンドンへ留学した。ノイローゼになったとよく言われているが、それは、文学論をやるのに講義なんか聞いても自分のやりたいことが分からないという意味だ。ところが、留学の終わる頃になって突然「ここから先は自分で考えてやっていくしかない」と気づく。自己の成熟ということ、自分をどう抽象的・社会的に考えるかを語った『私の個人主義』は、社会人として学者としての自立の宣言と読める。 私が思うに「I am a boy」という英文の「I」は要らない。「am a boy」で十分わかるはずで、なぜならば「am」というBe動詞の主語は「I」しかあり得ないから。それをわざわざ「I」というのはどういう文化なのか。これはラテン語では使わない。だから、デカルトの「我思う」は「Cogito」の一言だ。これはキリスト教が入ってきてから明らかに変わったことの1つであろうと私は思っている。
私は今年(2015年)、鎌倉の建長寺に「虫塚」をつくった。年を取ると私の墓の話を女房がし始めたが、自分の墓のことなど考えたくないから放っておいたら、「じゃあ」と虫塚を提案された。私は子供の頃から虫の標本づくりを続けているので、これは断れない。うまいところを突いてきたなと思った。私は6月4日を勝手に「虫の日」と呼んでいて、今年の6月4日には初めてお坊さんに来てもらい「虫供養」をやった。虫の好きな知り合いを30人ぐらい呼んだが企業では唯一、殺虫剤で有名な「フマキラー」に声を掛けたのは、虫を供養してもらうにはちょうどいいと思ったからだ。 私は長いこと解剖をやっているが、日本中の医学部が毎年行っている解剖体の慰霊祭=供養は非常に歴史が古く、山脇東洋による最初の慰霊祭は1754年のことだ。東大医学部も始まった年から解剖とお寺での慰霊祭はやっていて、私もなんとなく参加していた。教授時代、国立大学の医学部が主催する宗教行事は憲法違反ではないかという声が出て、私は医学部長に言われて問題の背景をいろいろ調べてみた。ちょうど、例の靖国問題が最初に浮上した時期で、法学部の先生に相談に行ったら言下に「それはまずい」と言われた。新設医大は、学内に納骨堂を置いて無宗教で献花式をやっている。献体を望む人たちの団体で一緒にやってもらったらどうかと言われて、私はちょっと話の筋が違うと思った。 これは感覚的なもので、解剖では〝加害者〟である私の場合は〝被害者〟に対する気持ちを表さないと気が済まない。そういうことが日本の「供養」には含まれているのではないだろうか。靖国問題では千鳥ヶ淵に国立の墓地をつくれという意見もあったが、そこには当事者意識がないから私は賛成できない。戦争で亡くなった方は国の指導者の命令一下、出かけていっていわば被害に遭った人。だから、首相が加害者の気持ちを持って行くなら何が悪いと私は思うのだが、当時は完全に政治的な議論になっていた。供養ということを考えていてアメリカ人が書いた本を読んだら、世界中に支店があるケンタッキーフライドチキンで鶏供養をするのは日本支社だけで「カーネル・サンダースがそれを聞いたら墓の中でひっくり返るだろう」と書いてある。供養というものの観念が、日本と海外ではずいぶん違うのではないかということに気づかされた。外交問題の裏にも、これがあるような気がする。それで、虫供養をやってみようかなという気持ちになったわけだ。 一方で、私には「お墓って何だ」という関心があり、ヨーロッパのお墓をルポして『身体巡礼』という本にしたり「考えるヒト」という連載を続けたりしているが、献体・臓器移植・解剖で身体を提供した人の墓地が各国にあり、そういう人を祀るという気持ちはどの国にもあるが、日本では従来の「○○家代々之墓」が続きにくい時代になってきた。そこで、私が毎年、虫の日に虫供養をやっていて自分が死んだら、女房がそこをお墓にしてしまう。入りたい人はみんな入ればいい……つまり「趣味の墓」にしてはどうかということをちょっと考えた。ハードよりソフト。解剖体の慰霊祭が250年持ったように供養という形なら、私が死んでも誰かがやってくれれば行事として続く。そんな考えもあった。 私は虫捕りが発端で20年前からブータンへ行っているので、いろいろ知り合いがいる。ある時、偉いお坊さんが由緒あるお寺と本尊の再建が悲願だというのを聞いて寄付をした。地元の人の勤労奉仕をだいぶ必要とするから10年以上かかったが去年、それが出来たので行ってきた。今では仏教の立派な信者ということになっている。相当インチキ臭いが。そんなことがあって、もともと関係のなかった供養とか仏教にいつの間にか引き込まれ、昨日も築地本願寺の文化講座で話をしてきた。縁というのか何というのか、ついに半分坊さんにされているような気分。年を取ると、だんだんそういう感覚になってくるものだ。 もう一つ、私が関心を持って考え続けているのは「自己」というものについて。若い人や日本全体の考え方は前から混乱しているような気がしていて『「自分」の壁』という本も書いたが、どうも欧米の文化と日本の文化とではかなり大きな違いがある。一神教の世界、特に旧約聖書には「最後の審判」があって、私は中高がカトリックの学校だったから、最後の審判が非常に不思議だった。あれは世界の終わりに人々が全部、神様の前に呼び出されるわけだが、呼び出される「私」は誰かという問題。今の私が呼び出されるなら、まあまあ分かったような気がするが、これから先、私がやるかもしれない悪いことは関係ない。もしも今年から私がアルツハイマーになって、3年後に死んで呼び出された時、アルツハイマーのままで出ていったら神様が困るだろう。あの文化では、生まれてから死ぬまでの自分を一切ひっくるめた、ある種「抽象的な私」というものがあると思う。おそらくこれは日本にないだろう。仏教では何というか知らないが、大体「無我」っていうぐらいだから。 面白いのは夏目漱石の講演集『私の個人主義』だ。漱石は自己本位ということを言っているが、それは自分勝手とは全然意味が違う。彼は松山の中学の教師になり、その後は熊本の高校に行き、やがて文部省の命令でロンドンへ留学した。ノイローゼになったとよく言われているが、それは、文学論をやるのに講義なんか聞いても自分のやりたいことが分からないという意味だ。ところが、留学の終わる頃になって突然「ここから先は自分で考えてやっていくしかない」と気づく。自己の成熟ということ、自分をどう抽象的・社会的に考えるかを語った『私の個人主義』は、社会人として学者としての自立の宣言と読める。 私が思うに「I am a boy」という英文の「I」は要らない。「am a boy」で十分わかるはずで、なぜならば「am」というBe動詞の主語は「I」しかあり得ないから。それをわざわざ「I」というのはどういう文化なのか。これはラテン語では使わない。だから、デカルトの「我思う」は「Cogito」の一言だ。これはキリスト教が入ってきてから明らかに変わったことの1つであろうと私は思っている。