活動レポート
全国キャラバン 基調講話 山折哲雄氏 「こころを育むとは ~ふるさとを誇り に生きる~」
- 2016年12月27日
- キャラバン
「こころを育む総合フォーラム 全国キャラバン 2016 in 鹿角八幡平」において、フォーラム座長の山折哲雄氏より基調講話をいただきました。基調講話要旨は以下の通りです。

「全国キャラバン 2016 in 鹿角八幡平」
2016年11月19日(土) 於:秋田県鹿角市立八幡平中学校
基調講話 山折哲雄氏 (宗教学者、こころを育む総合フォーラム座長)
演題 「こころを育むとは
~ふるさとを誇りに生きる~」
基調講話 山折哲雄氏 (宗教学者、こころを育む総合フォーラム座長)
演題 「こころを育むとは
~ふるさとを誇りに生きる~」
私は勤めの関係で30年来、京都に住んでおります。ですから今日も大阪の伊丹空港から飛行機でこちらにやってまいりました。今から10年ほど前になりますが、東京から会いたいという人が京都においでになった。近くのホテルでお目にかかることにして、私はあまり時間に遅れるほうではないんですけれども、そのときは町を歩いているうちに珍しい碑文にぶつかって、その前に立ちどまって歴史の中を歩いて、そういう空想の時間がちょっと長引いてしまったために、気がついたら約束の時間に30分遅れていました。私はそれに気がついて、息せき切ってホテルに駆けつけました。全身冷や汗を流しておりました。そうしましたら、東京からおいでになったその客人が、私の知り合いでもあったんですが、ホテルの玄関の前にお立ちになっていて、微笑を浮かべているんです。私は走り込んで行っておわびを申しました。頭を深く下げた。するとその方は「出迎え三歩、見送り七歩といいますからね」と言われて、にこっとされた。私は、はっといたしました。出迎え三歩、見送り七歩。この日本語は一体何を意味しているのか。直感的にわかりましたが、人さまにお目にかかるとき、その方が今来るか、今来るかと首を長く伸ばし、自分の思いをその人の上に注いでじっと立っている。それで思わず三歩前に歩み出した。今おいでになるか、今来るかと、そういう気持ちで待っているんですよ、だからあまり心配しなくていいですよ、私はそもそも人さまにお目にかかるときにはそういう思いでいるんですよと。そういう優しい気持ちが伝わってまいりました。ああ、いい日本語だなと思いましたね。 では見送り七歩とは一体何か。人と出会ったとき、お客さんと会って話をして、用事を済ませた。別れのときがきたら、別れていくその客人をじっと見送る。そのお客さんが足を七歩運んで去っていく、その間中ずっとその人の背中を見送る、そういうことかなということも直感的に思った。これはこれですごいなと。出迎えのときの三歩、見送るときの七歩。3と7に込められた、この言葉をつくった我々の先人たちの思い、それは一体何だったのかと思いました。挨拶の言葉を交わす前にそういうことを言われた、それでもう私は平身低頭する以外はありません。ホテルの中に入って、喫茶室で向かい合って座って仕事の話をして、小一時間ほど時を過ごしました。いざお別れする段になり、私はそのときに、見送り七歩か、お別れしてこのホテルから去っていくとき、この方は私の背中をじっと姿が見えなくなるまで見送りをされるおつもりだろうかと、そう思ったとき全身にまた冷や汗をかきました。人との出会いというのは正面と正面、顔と顔を合わせて挨拶を交わし、言葉を交わす。別れるときはお互いに背を向けて別れる。漠然とそう思っていたんですね。ところが、別れるときの作法はそうじゃない。このことわざみたいな言葉によると、お別れするときはその人の後ろ姿をじっと見つめる時間がある。その方は、東京からわざわざ京都までおいでになっている。むしろ見送り七歩の気持ちで別れるのは私のほうで、本当は京都駅までお供をして、そこでお別れをするぐらいの気持ちでなければ釣り合わないんですが、その方はホテルの玄関の前で「それでは、どうもありがとうございました」と、私が去るのをじっと待っていました。致し方ない、私はその人と別れの挨拶をして、背中を見せて歩き始めました。一歩、二歩、三歩……七歩、十歩以上、ずっと歩いていって私は我が家に向かったんです。背中を見られながら別れの足を運んでいる、そう自覚したのはそのときが初めてでした。これはつらい作法だな、一体誰がこういうことをやりだしたのか。

