活動レポート
山折哲雄 × 中村桂子 前編 「わかる」と「納得する」には、大きな差がある―「生き物感覚」を失うことの恐ろしさ
- 2015年1月28日
- 有識者対談
山折座長と対談していただく6人目の有識者には、JT生命誌研究館の中村桂子館長を迎えて、前・中・後編に分けてお送りします。 前編では、生命誌研究館設立の経緯、現在の取り組みについて語り合っていただきました。
「生命誌研究館」とは何をするところか
中村:本日は生命誌研究館にいらしていただいて、ありがとうございます。 山折:前からご案内いただいていましたが、今日初めて参りましてびっくりいたしました。人類発生以来の歴史の中で、生命というものをどう捉えるかという大変な研究をなさっている。なぜ生命誌研究館を始められたのですか。 中村:それをお話しすると長くなります(笑)。今、生命科学は非常に重要な分野になっていますが、始まったのは1970年代。米国がアポロ計画を成功させて、次の目標を「癌との闘い」とし、医学と生物学を合わせた生命科学にしました。 生物学は、人間以外の生き物が対象です。人間を考えることはありませんでした。でも医学となると、人間を研究することになります。「人間を考える」ことになったのです。 同じ年に、江上不二夫先生が、日本で生命科学研究所をお始めになり、私はそこで育ちました。江上先生の生命科学は独自で、植物学、動物学などと分かれていた生物学をDNAを基本において生命とは何かを問うものに変えたのです。ここにも人間が入ります。また当時の公害も関係します。 公害病のひとつ水俣病は、工場が水銀を含んだ廃液を海に流したために起きたものです。海に流せば薄まるから大丈夫だろうと流したら、海には生き物がいたのです。プランクトンから魚へ、魚から人間へと濃縮され、病気になってしまった。海は単なる水ではなく、生き物のいる場だということを意識しなかったのです。技術にも生き物への眼が必要というのも、江上先生の生命科学の大事なところです。 このように米国と日本の生命科学は、人間を考えるようになったという点では一致していますが、誕生の経緯が違います。残念ながら、現在の生命科学は日本でも米国型になっています。
中村桂子(なかむら けいこ)●JT生命誌研究館 館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。
中村:生命誌は、生きものの歴史を知るという意味です。学校で習う歴史の「史」は、戦争などの事件や、信長や秀吉など偉い人の人物伝です。でも「バクテリアも蝶もみんないて初めて生き物の世界ができるのだから、どれもこれもみんな歴史を持っている。その物語を読みたい」と私は思っているので、博物誌や風土誌の「誌」かなと思ったんです。 山折:英語にするときはなんと訳しますか。 中村:バイオヒストリーです。英語のヒストリーには物語という感覚がありますね。日本語の「史」には、それが欠ける気がして。 山折:心理学でも河合隼雄さんなんかは、人間および人間の歴史を知るためには物語が必要だとおっしゃっていた。中村先生も生命の物語を紡ごうとなさっているのですね。 中村:生命の歴史物語は、38億年もあるものですから大変ですけど(笑)。
生命のことは、どこまでわかったのか
山折:われわれには、生命とは授かったものであるとか、よくわからない神秘の世界に包まれたものだという感覚があります。それに対してこの生命誌研究では、一応起源があって、何十何億年という歴史があって、今日がある。時間系列で整理できるという段階に至っていますね。 さらに細胞やDNAという構造的な世界がどんどん明らかにされてきた。そうすると生命起源以来の歴史と構造の状況を重ね合わせることによって、生命はわかるという時代が来たわけですか。
山折哲雄(やまおり てつお)●こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数。
中村:生命誌は、「納得する」ということをとても大事にしていて、私はそれを「生き物感覚」と言っています。納得するためには、自然にいつも接していないと、その感覚が失われてしまう。閉じた環境で試験管とだけ向き合っていると、頭だけの理解になります。それは本当の理解ではない。「納得」と先生がおっしゃったのがまさにそれで、体でわからなければいけない。そのためには、どうしても大きな自然と接していないといけません。 私がいちばん心配しているのは、高層ビルの中でお子さんを育てるような状況になると、その感覚が失われるのではないかということです。今の大人は子供の頃に自然を体感していますから、今、閉じた中にいても、子供の頃の感覚が体にしみついています。でも生まれたときから窓も開かず、風も感じないところで育ったら、この感覚は得られない。それが怖い。 山折:そうですね。たとえば、数学の世界で四次元だ、五次元だといわれても、いくら説明してもらってもわかりませんよね。 中村:わかりません。 山折:だから私は、「じゃあ一度、そういう世界のことを三次元に置き直して説明してくださいよ」と言うんです。そうするとわかるかもしれない。その置き換えができなくなってしまうことが、いろいろな分野でも起きてくるでしょうね。