活動レポート
山折哲雄 × 中村桂子 中編 「人文学」の世界、なぜ貧しくなってきたのか―「技術の暴走」により起きつつあること
- 2015年2月4日
- 有識者対談
山折座長と対談していただく6人目の有識者は、JT生命誌研究館の中村桂子館長です。今回の中編では「暴走し始めた技術」「人文学の危機」について語り合っていただきました。 ※対談(前編): 「わかる」と「納得する」は、まったく違うもの
科学は技術のためのものではない
山折:では、次のテーマとして人文学の危機について移っていきたいと思います。 もう30年くらい前かな。ロボット博士として知られる森政宏さんと対談したときに、彼がふっとこう言われた。 「科学の世界にはわからないことがある。しかし技術の世界にわからないことはない」 あのセリフは忘れられません。ついにここまで来たかと思いました。私にはiPS細胞も含めて、技術が暴走しはじめているという感じがするわけです。技術にも、ある程度は自己抑制が必要なのではないのかと思います。今の生命科学は、そこをどう考えているのか。 中村:そうですね。今は科学技術といわれますが、本来、技術は科学の前から存在していました。それこそ石器時代から技術はあったわけです。技術の中にわからないことがあったら、何が起こるかわからなくて恐ろしいことになります。たとえば自動車にわからないところがあったら、怖くて運転できない。森先生がおっしゃったのは、そういう意味だと思います。 科学は世界観を創るもので、技術だけのためのものではありません。もちろん科学技術は必要ですが、その場合「科学にはわからないことがある」ということを踏まえたうえで使わなければならないと思います。 山折:実は以前から心配していることがあります。科学技術の発達によって、人文学や社会科学など人間について研究する分野の学問が、非常に貧しくなってきている。消滅寸前の状態になっている気がすることです。 中村:大学の人文学科をなくすと文科省が言っていると聞いて、びっくりしました。人間のことはサルを研究すればわかるのか
山折:それは非常に極端な方向ですが、それなりの理由があるだろうと思っています。それをちょっと聞いていただきたいのですが。 ひとつはですね。たとえば、類人猿研究、サル学がものすごく発達しはじめる。そうすると一般的に、「人間のことは猿を研究すればわかる」という短絡的な理解が広まる。類人猿の研究者の方々は決してそう思っていないでしょうけど、人文学の研究者のあいだにもそういう傾向があるように思います。 中村:えっ、本当ですか? それは違うと思いますね。
中村桂子(なかむら けいこ)●JT生命誌研究館館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。
今の社会の価値感は「進化」ではなく「進歩」
中村:ところが、今の社会の価値観は「進歩」です。これはひとつの価値観の中で上下を決める。だから「進歩」の場合、先進国と開発途上国があるわけですね。 でも生き物の世界では、ライオンとアリを比べてどっちがすばらしいかということはない。世界中にアリのいないところはありません。多様に広がっているという点では、アリほどすごいものはない。しかも女王アリを頂点とする社会をつくって暮らしているところは、ライオンより見事とも言える。だからアリとライオンを比べることには意味がないのです。
山折哲雄(やまおり てつお)●こころを育む総合フォーラム座長。1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数。
「役に立つ」とはどういう意味か
山折:そういう先生のお考えとか体験、実践を、これからの若い理系の学生たちに教えたいですね。 中村:そうですね。今のグローバル社会は効率や経済がすべてだという価値観が席巻しています。私は江上不二夫先生に育てられましたから、細々ながら、江上先生の理念を受け継いでやっているつもりです。でも社会全体はそうではない方向に行ってしまっているし、東京大学も京都大学も大阪大学もそうなっている。 そもそも「役に立つ」って何だろう?と思います。おカネが入り、株価が動いて、経済が活性化するのが「役に立つ」。そこに科学も貢献するということなんですよ。 そこで、政治権力というものに巻き込まれてしまう。政治家は橋や道路を造ることで力を示してきた。100億円ぐらいのおカネを動かさないと、何かやったという気にならないんですね。そうすると、「50億円あるから明日までにどう使うか企画書を書きなさい」、といった話まであるわけです。それは断るべきだと思うけれど、決して断らない。気持ちはわかります。でも、科学者の矜持としては、断るというのはありでしょ。そのうえで「私はこういうことしたいので、おカネが欲しい」と堂々と言ったらいいと思うのですが、それはできない状況です。これは科学のありようとして間違っています。政治に近くなったのは間違いです。 山折:そうですね。それを人文学も社会科学もまねしているんです。われわれの世界は鉛筆と紙があれば仕事ができますよ。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんだって、基本はそうだったと思います。 中村:あの時代までは鉛筆と紙です。懐かしいですね。 山折:鉛筆と紙は重大なキーワードですね。先ほど私、サル学について批判がましいこと言いましたけど、日本の類人猿研究というのは世界の最先端を行ってるわけですよ。なぜかというと、日本にはサルと人間は同等の関係だという世界観があるからだと僕は思っています。 中村:サルに一頭一頭、名前をつけますね(笑)。 山折:これはやっぱり大事にしていかなきゃならない。もっとも基本的な教養の原点だと思います。 中村:生命科学の研究者にとって、日本の自然の中にいるということ自体が大きなメリットだと思います。明治時代は「文理融合」が掲げられていた
小学校の理科という科目は、明治のころにヨーロッパから科学を取り入れて作ったものですが、そのときにできた理科の指導要領に、理科の目標が書いてあります。ご覧になってみてください。 山折:「自然に親しみ、見通しをもって観察、実験などを行い、問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに、自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り、科学的な見方や考え方を養う」というところですね。
「日本人が自然を愛する心情を育てることを理科の目標に入れたのはすばらしいこと」(中村館長)