山折座長と対談していただく7人目の有識者には、東海旅客鉄道名誉会長の葛西敬之氏を迎えて、前・中・後編に分けて日本の教育のあり方について語っていただきました。
山折:葛西さんは国鉄改革からJR東海を経て、日本の新幹線事業に多大の貢献をしてこられました。そうしたご経験の中から、教育の問題について積極的に取り組んでおられます。海陽中等教育学校では、実践的な教育システムを作ろうという努力もなさっている。そうした経験も踏まえたうえで、日本の教育のあり方についてお話をできればと思います。
葛西:どうぞよろしくお願いします。
山折:まずは教育のあり方について考えていきたいと思います。国鉄、そしてJR東海で多くの新入社員を見てきて、最近の若い人について感じる特徴はありますか。
音として説得力を持つ文章が理想
葛西:私どもが大学を卒業して国鉄に入社した頃に比べると、一層いい子になっているという感じはいたします。荒削りとかパワフルとかいうものは失われていますが、非常に順応性の高い子たちが増えています。
我々の頃に比べて、だんだんアメリカ風になっているようです。我々の時分には、教養の基本として和漢混淆文をよしとするところがありました。文書を書くにせよ、ものを考えるにせよ、そうした前提があったように思います。しかし、最近の人たちは、「漢」の部分が抜けてきて英語が代わりに入ってきた。そのあたりから少し考え方の差が出てきているのかな、という気がする時もあります。
山折:私は葛西さんが書かれる読売新聞の「地球を読む」を読ませていただいていますが、実に歯切れがよくて、論理的です。まさに「漢」と「和」の言葉ですね。
葛西:ありがとうございます。私は古い世代でして。
山折:最近は、横文字がやたらと入ってくるようになりましたね。
葛西:声に出して読んだときに、相手側に「響き」が伝わること、つまり音としての説得力を持つ文章が理想だと私は考えています。もちろん論理性も正確性も重要ですが、そこには響きがなくてはいけない。最近は、響きがない文章が多くなってきています。響きがなくなるということが、精神にどういう影響を及ぼすのか、まだ確実にはわかってないけれども、影響していると思います。
山折:私も影響は大きいと思います。響くようなリズムとは、相手の心に届くということですよね。届いて初めて納得してもらえる。知的にわかるとは違い、納得してもらうにはどうすればいいか。その壁を破る教育が、必ずしもなされていませんね。
葛西:最近の中央官庁の優秀な人たちを見ていても思うのですが、だいたいアメリカのビジネススクールの影響を強く受けています。ビジネススクールふうの匂いがあると、最先端の教養を持っていると思われる風潮がありますが、あまり影響され過ぎるとよくないな、という気はいたします。
山折:知的なもの、論理的なものを重視するあまり、それを感性的なものに載せて相手に届けるという土台が、おろそかにされていますね。
ラブレターを書くことは、重要な風習だった
葛西敬之(かさい よしゆき)●1940年生まれ。東京大学法学部卒。1963年日本国有鉄道(国鉄)入社。職員局次長などを経て、1987年に分割民営化で発足した東海旅客鉄道(JR東海)の取締役総合企画本部長。 1990年副社長、95年社長、2004年会長。2014年4月から代表権を持つ名誉会長に就任(撮影:梅谷秀司)
葛西:これは英語の世界でも同じなのかもしれません。昔は英語にも響きがあった。最近、それがなくなってきているのではないかと思います。なぜそうなってきたのかよくわかりませんが、電子メールなどのツールは、言葉を劣化させる機能を果たしているような気がします。
山折:iPhoneなどでメールを使っていますと、どうしても視覚中心になる。情報が視覚中心になり、聴覚に流し込むことをしない。
葛西:聴覚はあまり大事ではなくなってしまった。言葉を学ぶうえで、音読、書き取り、作文の3つが昔からベストなやり方です。恐らく、論語の孔子の時代から、あるいはギリシャの時代から、世界中で同じやり方をしていたと思います。最近は、そういう基礎のところが、揺らいでいる気がしますね。
山折:学校教育だけでなく、おそらく会社などでも社長さんが、社長室に閉じこもって、メールを書いて社員に知らせることが増えている。本当は、社長は社員の前に立ち、肉声で語らなきゃいけません。
葛西:話す言葉によって人に共感を与えようという問題意識がなくなり、意味が通じればいいということになっているようです。日本語をやるにせよ、英語をやるにせよ、音読、書き取り、作文、そして文法が基礎です。
山折:これは、もう学校での教育の問題だけではなく、全体がそういう状況になってしまっているということですね。今、作文が嫌いな方が非常に増えていますね。キーボードで簡単に文書を作れてしまう。機械を使って文書を作る時の苦労と、手書きの時の苦労とは、質が違うものでしょう。
葛西:違うと思いますね。ラブレターを書くというのは、重要な風習だったのかもしれません。
山折:苦しみに苦しんで書き、人の気持ちを動かそうとする。ラブレターはひとつの典型ですね。社員に対するスピーチも、本当は同じでなくちゃいけませんよ。知識の披歴、認識の披歴で終わりになってしまうケースが、最近は多いのではないでしょうか。
これは以前、葛西さんがおっしゃっていたことですけれども、現代の教育を考えるうえで、戦前の旧制高校の教育にも参考になる面があるのではないか、と。旧制高校の教育のすべてがよかったとは必ずしも思いませんが、大筋として私は賛成です。
旧制高校における、教養を身につけるための教育。いちばん基本にあったのは、旧制高校の学生たちは、文系であろうと理系であろうと区別なく、まず「人間とは何か」という問いが最初にあった。その次が「日本人とは何か」。日本の高校にいるんだっていう自覚です。3番目に「汝は何ぞや」。自己とは何かを問われた。
人間とは何か、日本人とは何か、自己とは何か、この3つのことを、らせん状に教師は学生に突きつけるし、自らも語る。学生もそれを考えた。このレベルでは、「理系だ」「文系だ」って今、我々が言っているような問題は存在しない。広い教養の世界でどう自己を鍛えるか、という課題につながっていた。これは継承していかなければならないと思います。
海陽学園へ託した思いとは?
山折哲雄(やまおり てつお)●こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数。(撮影:梅谷秀司)
葛西:同感です。人間とは何か、日本人とは何か、自己は何かという問いは、座標軸みたいなもの。いろいろな本を読んだり、いろいろな知識を身につけたりしたときに、その座標軸の中に位置づけるような形で何かそれを吸収していくことが必要です。ところが、今はそれがなくなっています。
山折:海陽学園での教育も、そういう思いがあるのでしょうか。
葛西:旧制高校のようなものを、というわけではありません。それを今の先生方に委ねる、というのは無理があります。ひとつ言えることは、実践の場を作ろうということでした。今、3世代が一緒に住む家庭というのは少なくなっており、兄弟がいる家庭も以前に比べると少ない。人と接点を持って、まさに人間とは何かを体験として身につける土台が不足している。ですから、我々の学校の狙いというのは、少なくとも1学年120人、6学年720人が一緒に共同生活をするということ。その中で、対人関係の原体験を持たせることで、いろいろな問題についての理解能力を高めていく。そこから入っていこうとしています。
友達同士でいろいろな話をする。あるいは、いろいろな人がいる中で、自分がどのように身を処していくかということを体験的に学ぶ。全寮制のよさはそこにある。それがあると強くなるんですね。知識の習得はほかの学校と同じようにやりますが、人間というものに対する原体験を学ばせるところに特徴があります。
山折:私は、敗戦のとき旧制中学2年でした。それで大学に入って1年だけ、寮生活をした。そこには旧制の先輩たちも交じっていました。結局1年間で出たんです。確かに寮生活は、家庭にいては知ることのできない人間関係がある。いいことだけでなくけんかもしましたし、葛藤もあるわけです。そういった意味では、人生を縮小した形を、初めから体験させられるということはあるわけですね。中には個人主義を最後までとおすやつもいるし、仲良くなる人間もいる。本当にいろいろな人間がいることを体験しました。
葛西:中高の6年間だと、6年の年齢差がある人間同士が付き合うということになるわけです。これは非常に大きい。
小渕内閣の時代に「教育改革国民会議」が発足した際、私は日本経済調査協議会というところで、教育問題を提言するグループに入りました。出席者は20~30人いたのですが、まさに20~30通りの別々の教育論がある。各人各様の生活体験の中から出てきており、思いつき的なものも多い。それを聞いているうちに、これをまとめてひとつの政策にするということは不可能だと考えました。
私がそのときに思ったのは、ごく少数の同じ考えを持っている人たちが中心になってモデルを作り、100人でもいいから、そうした教育をした人間を育てていくというプロセスが必要だということです。もし、その教育がよければほかにも真似してくれる人が出てくるだろう、と。そこで中高一貫、全寮制、男子校というコンセプトで学校の設立を考え始めました。
プレッシャーに抗耐性のある人間を
ネガティブな印象を持たれがちな寮生活。子どもたちをきちんとケアし、フロアマスターという仕組みを導入することで成功に導いたという。(撮影:梅谷秀司)
小学校から始めるのが本当はいちばんいいのですが、小学生だと母親が子どもを手放す可能性も少ない。ちょうどイギリスのパブリックスクールが、日本の中学生と同じぐらいの年頃の子を教育しているんですね。それで始めたのです。
学校と塾と、両方に行かなければいけないという今の体制の中ではなく、学校で集中的に勉強をして、余った時間は自分で本を読むなり、あるいは友達とスポーツするなりしてもらおうと考えました。それによって、より強い、いろいろなプレッシャーに対して抗耐性のある人間を作っていくわけです。
ところが、全寮制は簡単ではない。何が難しいかというと、寮における生活管理というのをきちんとやる人が必要なのです。イギリスのイートン校は600年ぐらいの歴史があります。その歴史の中で先輩が後輩の面倒を見るというパターンができあがっている。
山折:日本では、そうした伝統は途切れてしまっていますね。
葛西:日本の場合、ゼロから始める必要があります。先輩がいないわけですから。しかも全寮制の学校、女子校でも男子校でも世界を眺めると、だいたい宗教と結びついているところが多い。修道女や修道士が、いわば無料でいろいろなことを教えてくれるわけです。
そこで、我々は企業が応援して作る学校なので、企業でなければできない仕組みを考えようということになり、生徒20人に1人ずつ、民間企業から派遣された社員を1年間、日夜一緒に学生寮(ハウス)に住まわせる仕組みをつくりました。これを「フロアマスター制度」と呼んでいます。
これは企業にとってはいわゆる管理者教育の一環になります。若手の男性、独身の総合職社員を入れて、20人の子どもたちを管理する。そうすると彼は、20人を束ねる管理者としての素養ができるわけです。人間をどう扱うかという、いちばん原始的なところがわかる。大人の部下20人を束ねるより、子ども20人を束ねるほうがずっと難しいですから。
海陽学園の寮の個室はスッキリとしたレイアウトだ。2013年10月の様子(撮影:尾形文繁)
子どもたちにとっては、日々面倒を見てくれる人がいて、相談する相手がいる。いろいろなトラブルがあってもそれを早めに、もう少し大人の目で見て調整してくれるわけです。家庭で行われているようなことが、学校でも行われる。会社にとってもプラスだし、親にとっても安心です。
ひとつのハウスには、60人おります。4階建ての建物があり、1階がパブリックスペース、全員が共有する空間です。そこに寮監であるハウスマスターがおります。そして2階、3階、4階に20人ずつ、それぞれ個室が与えられて子どもたちが住んでいる。その片隅にフロアマスターの部屋があり、一緒に寝起きするわけです。
毎日、1日の日記を書かせるのですが、それをひとりずつにとじておく。フロアマスターは、子どもたちが学校に行っている間にそれを読み、返事を書くわけです。子どもたちの気持ちの変化は時系列でわかる。海陽学園は開校からすでに9年がたち、卒業生も出ております。今ではこの仕組みは安定しました。
日本では軍隊的なものに忌避反応
山折:男子の全寮制といえば自衛隊とか、昔の海兵とか、あるいはアナポリスとか、そういう軍隊的な世界に通じていきます。日本では、これに対する忌避反応があって、軍隊から知恵を借りるということを、表向きしてこなかったんですね。しかし、ひと皮むけば日航や全日空などのパイロットも昔の飛行機乗りですから、民間といえども軍隊的な規律は、どこかの面で継承されているということですよね。
葛西:日本では旧軍隊的なものに対して、あるいは集団的な寮生活に対してネガティブな印象が強かった。でも、我々はとにかく中学、高校の子どもたちをきちんとケアするということで、フロアマスターという仕組みを入れて、それが成功したということです。
※ 中編は次週掲載します