活動レポート

山折哲雄 × 安西祐一郎 第3回 若者に日本の歴史をどう教えるべきか


山折座長と対談していただく4人目の有識者には、慶應義塾大学前学長で、現日本学術振興会理事長である安西祐一郎氏を迎えて、4回に分けて日本の教養と知識人について語ります。今回は第3回です。 ※対談(その1): 愛国心でも愛郷心でもない、日本人の教養 ※対談(その2): 今の日本人は“情”が欠如している img_3517e459e9ce7bd4ce0e1277f8ef082b408652
安西:これは私の全く主観ですけど、戦争を経験した経営者と戦後世代の経営者というのは、多少違うのではないかという気がします。 山折:なるほど。私は旧制中学時代に敗戦を経験した世代ですが、学生時代に仙台で下宿をしていたとき、下宿先の夫婦が仲悪くて、しょっちゅう喧嘩するんですね。あるとき、私が思わず仲裁に入った。すると亭主が台所に行って包丁を持ち出してきて、追っかけてくるんですよ。ただし初めから刺す気はなくて、脅しているだけですよ。結局その後1年ぐらいその下宿にいましたが、そういう経験は日常茶飯事でしたね。まして戦争中ならなおさらでしょう。 安西:戦争があってほしいわけではもちろんありませんが、生死ギリギリの厳しい体験を抜きにして、本当の判断基準としての教養が本当に身に付くのか。本を読むのはいいですし、古典を読むのは大事だと思いますが、本当に血肉になるのはどういうことかがわからないままに大人になってしまう。 山折:それは確かに重要なところですね。人間関係、人間関係といいながら人間関係の血みどろな修羅場を体験することがあまりない。それを体で知っているかいないかというのは、教養に血を通わせるのに非常に重要な問題かもしれませんね。 安西:私はそう思いますね。 山折:実際はそういう修羅場も至るところに存在しているわけですが、それを見て見ぬふりをしてきている。 安西:それに触らなくても、普通にある程度の生活はできる国になっている。ところがグローバル化云々のことをいえば、グローバル化っていうのは別に英語ができて外国で暮らせるということではなくて、得体の知れない人が隣にいるということです。それは不気味なことでもあり、一方でチャンスでもあるわけです。そんな世界で生きていく時に、そういう体験が血肉になっているかどうかは、非常に大きなことだと思うのですね。 山折:異文化の中で、得体の知れない人間の中で、その人間とどう付き合うか。そういう問題ですよね。 安西:はい、そうですね。文化的背景も、礼儀作法も何もかも違う初対面の相手の気持ちを読めるかどうかということですね。そういうバックグラウンドの違う人の心の痛みを感じることができるかどうかは、単なる詰め込み知識ではなくて、体験にかなり依存していると思います。それをどういうふうに感じるかということですね。

普通の高校生の人生が心配

安西:今、大学進学を希望している高校生が1学年約60万人います。そのうち、いわゆる学力中間層と呼ばれている高校生が40万人近くいますが、こうした高校生の学習時間が、この15年で半分に減っているというデータがあります。正確に言いますと、1990年と2006年で比較したときに、1日の勉強時間が、120分ぐらいから60分ぐらいに減っている。この学習時間というのは、高校での授業時間を除き、予備校や塾に通っている時間を含んでの数字です。
安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)   日本学術振興会理事長 1946年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。カーネギーメロン大学人文社会科学部客員助教授、北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授。2001~09年慶應義塾長。2011年より現職。専攻は認知科学、情報科学。

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)
日本学術振興会理事長
1946年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士
課程修了。カーネギーメロン大学人文社会科学部客員助教授、
北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授。2001~09年慶應義塾長。2011年より現職。専攻は認知科学、情報科学。

このデータの背景にあるのは、大学全入時代になって、いわゆる中間層といわれる高校生が、大学入試に力を入れなくてもよくなったということだと考えられます。どこかの大学に入れればいい、ということであれば、それほど入試の勉強をしなくてもよくなった。だから学習時間が減ったということです。 それとは別に職業高校、工業高校、商業高校等に通っている高校生がいます。彼らには目標をもって、一生懸命勉強している高校生が多いのですね。一方、普通高校の生徒で適当に大学に行けばいい、親もとにかく大学に行ってほしい家庭の子どもは、実は目標がない。自分で何かしたいという気持ちがなかなかもてない、何をしたらいいかわからないという生徒が多いわけです。 サイレントマジョリティというのは、人数も多い、とても大事な人たちなんですね。彼らが日本のいろいろな地域で生活をし、地域社会を盛り立てて、その結果として、日本国が将来にわたってずっと続いていってもらいたい。ですから、その学力中間層の子たちがいったいどういう人生を歩むかが気になっています。私は高等学校こそ、本当に血肉になる教養の基本を創る上で、とても大事な時期だと思います。 国側も中学までは義務教育ですので目が行っていますし、大学問題は大学問題で経済界からもいろいろ言われるので注目されますが、高校というのはどうしても抜け落ちてしまう。普通高校問題というのはあんまり知られていないとも思いますが、ゆるがせにできない。 山折:それは中間労働層の問題とも関連しますね。高度経済成長期には、会社、家族、そして地域社会があり、いろんなマナーを教えたり知恵を授けたり人間との付き合い方を教えたり、共同生活の在り方を教えたりしていました。学校ではあんまり教えなかったことを会社で覚えていくという機能があったわけです。会社がそういう機能を失った時に、中間労働層がどうなっていくかという問題とかかわりますよね。 安西:そうですね。今は会社に入って3年で3分の1が辞める時代です。若い人にはなんとしても幸せになってもらいたい。でも、どうも幸せには見えない。 世界がグローバル化というよりも多極化する中で、アメリカがありEUがあり中国も出てきて、あるいはロシア、インド、ブラジル、その他の諸国が競合して、世界のパワーゲームがある意味東西冷戦当時よりも不安定になっているわけです。これからの若者は、そういう中で生きていかざるを得ない。 インターネットなどを通じてかなり情報が早く入るので、地域経済も東京を経ないで、直接影響を受けるようになりました。地域で生きていくにしても、いろいろな影響を世界の動向から受けるようになっています。そういうときにいったい、今申し上げたような高校生、大学生たちがどういう人生を歩んでいくのかというのが、とても気になるのです。余計な心配なんですけれど。 山折:いや、余計な心配ではないと思います。これは大問題ですね。何かいいアイディアはありませんか。 安西:なんとかしたい。それの一番根本に日本人としての教養があるということです。若い世代が、日本人の教養を少しでも血肉にできるように、どんな手だてを打ったらいいのか。それをぜひ山折先生にお聞きしたい。

日本は、神話と歴史がつながっている

山折:まったくこれは大人の責任です。例えば昨年、伊勢神宮の遷宮が話題になりましたが、私からみると、なぜ式年遷宮をやっているのかについて、日本の伝統と歴史にのっとって説明する記事はメディアに一つもありませんでしたよ。
山折哲雄(やまおり・てつお)    こころを育む総合フォーラム座長  1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

根本にさかのぼっていくと、例えば「日本の歴史をどう教えるか」について以前からさまざまな意見があります。自虐史観か皇国史観かという二極の間に揺れて、依然として揺れ続けているわけです。 私が最も根本的な論点だと思うのは、神話と歴史の関係はどうなっているかということです。それが、ヨーロッパの場合とどう違うのかが、一番の根本問題です。神話から歴史への転換、そのプロセスをきちんと今の学校は教えていません。 ヨーロッパとどこが違うかというと、ギリシャに始まる西洋文明の神話と歴史の考え方は全く別次元の問題なんですね。神話は神話、歴史は歴史。ですからギリシャ・ローマ神話と、ヘロドトスやトゥキュディデスのギリシャの代表的な歴史家が記述した歴史については、これをはっきり区別して教えています。 その西欧流の考え方に基づいて、日本のわれわれの神話、歴史の問題を解釈しようとしてきたのが戦後教育の主流でした。『古事記』と『日本書紀』の神話的世界と、いわゆる考古学や古代史が明らかにした歴史の世界を別個の問題として切り離した。これが戦後の大きな問題だったと思います。 しかし実際には、日本の歴史はそうなっていない。神話的世界と歴史的時代は連続しているものとして考えられてきた。ところが、それでは日本の歴史が連続しているのはなぜか、という議論にまで至っていないんですよ。 安西:なるほど。 山折:私が考えるに、『記紀神話』に登場する神々には2種類の神がいます。 一つは「天津神」の神々。もう一つは「国津神」で地上に天孫降臨で下った神々。天津神の神々というのは、死ぬことのない永遠性を持つ神々です。だから仕事が終わって姿を消すときはお隠れになる。お隠れになるというのは、現代語では死ぬということですが、神話の世界ではただ一時的に姿を隠していることを意味します。 ところが「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」以降の、天孫降臨以降の神々っていうのは死んで陵(みささぎ)に葬られる神なんですよ。神もまた死ぬという思想がここにあります。その天孫降臨をした、陵(みささぎ)に葬られる神の中から神武天皇が誕生して、歴代の天皇の世紀に入っていくわけです。 つまり永遠性の神と、無常性の神の2種類の神々から成り立っている――そういうのが日本の神話で、それが歴史時代にそのまま連続してくる。それなのに、戦後の日本は、この歴史の見方と神話世界のあり方を、ギリシャ・ローマ神話とギリシャの歴史記述の手法で分析してしまっている。そうした反省を、日本の人文学や歴史学はしなかった。 ただし、このあたりの話がわからないと遷宮の本質がわからない。遷宮というのは旧正殿の神様を新しい新正殿に移す儀式です。私は前回の遷宮の際に、「火焚きの翁」という役を仰せつかって、遷宮の儀式を間近で見ました。そのとき感じたのが、古き神が死んで、新しい神が誕生する瞬間、ということでした。「ああ、日本の神話というのは神の死と再生の儀式から成り立っていて、それが歴史時代につながっている、だから20年ごとに古きものはスクラップして新しいものをビルドするのだなあ」と実感しました。 今の神宮は必ずしもそのような考え方を認めていませんね。むしろ、「日本の神は永遠である」ということを前提にした解釈に傾いていると思います。けれども、「日本の歴史、あるいは神話世界は西洋の場合とは違う」ということを踏まえて歴史を教えることが、根本として大事なところだと思っています。

歴史を語れない日本の学生

安西:確かに我々は、イザナギ、イザナミの話と、神武天皇以降の天皇をまったく別のこととしてとらえていますね。 山折:これも神話学者はほとんど言っていませんが、実は、イザナギは隠れる神で神話世界では死ぬことがない。ところが配偶女神のイザナミの方は火の神を生んで死ぬ、そして、熊野の地に葬られている。死ぬ神なんです。イザナミノミコトはカグツチの神という火の神を産んで、その生殖器を焼かれてそれで死ぬわけです。死んで地上の熊野の地に葬られて、そこで夫婦別離の悲劇が生まれた。それはいったいなぜかと言うと、また難しい問題になりますが、つまりイザナギ、イザナミというのは、神話世界と歴史時代をつなぐ重要な神だと私は思っています。 安西:なるほど。今、日中韓の大学同士でお互いに単位を交換しながら、それぞれの大学の学生が、何カ月かずつ日中韓の大学に滞在して学ぶプログラムがあります。キャンパスアジアという名称で呼んでいて、日中韓の政府間の合意で3年続けていますが、私は日本側のまとめ役をやっています。 その大学生同士で話をするときに、中韓の学生のほうが日本の歴史について彼らが自分の国で聞いた形で語る、あるいは意見を言う。それに対して日本の学生が答えられないことがあるといいます。先生が今言われた話を、もし日本の学生が知っていたら、どういう話をするかなあと考えてしまいました。 山折:面白い話になるでしょうね。 実は3年ほど前に、日中韓の学生交流の組織のワークショップに招かれて、日中韓の大学生100人ぐらいのクラスで話をしました。そのときに特に韓国の学生が、自分は日本という国は嫌いだ、でも日本人は嫌いではない、というようなことを言っていたのが、ひとつの驚きでした。 もう一つの驚きは、私が「韓国では“恨(ハン)五百年”と言うでしょう。500年間恨みつらみが募ってきてそれが反日感情と結びついている。これはなかなか乗り越えることができない問題ではないか」と言ったら、韓国の学生たちがみな「そうだ」と言うんです。だけど日本の学生たちのことは好きだと。それに対して日本人の学生はノーコメントでした。 安西:それは、先ほど申し上げたのと同じような話です。 山折:だから今、日中、日韓の問題を政治レベルで扱うには、“恨五百年”というような問題を含めて、もう少し腰を落ちつけて考えていかないといけないんですよね。   (司会・構成:佐々木紀彦、撮影:今井康一) ※ 続きは次週掲載します