活動レポート
山折哲雄 × 鷲田清一第2回 教養をめぐる、経済界トップの勘違い
- 2013年9月10日
- 有識者対談
山折座長と対談していただく最初の有識者は、鷲田清一先生です。4回に分けて日本の教養の系譜と、西洋の教養との違いを語ります。今回は、第2回です。
※対談(第1回): 日本人の教養と、根深い西洋コンプレックス
鷲田:前回、先生は経済人の話から始められたでしょう。今、経済団体のトップたちは、「このごろの学生は教養がない、コミュニケーション能力がない」としきりに言います。 あの人たちには、幻想としての旧制高校があると思うんですよ。「旧制高校時代、われわれはドイツ語で原書を読んだ」とか「理系でもデカルトは高校のときに読んだ」といったイメージです。さらに、「トータルにものを見るためには、断片的な知識ではなく哲学がいる」といった過剰な哲学幻想がある。でも、本気で哲学をやった人なんてそんなにいない。 山折:ほとんどいない(笑)。 鷲田:結局、彼らは幻想で言っているだけですよ。私が皮肉だと思うのは、戦前の旧制高校的な教養観の中で、経済はバカにされていたということです。 つまり、旧制高校の連中というのは、一方では官僚になり、国を支えるエリートたち、もう一方は、文化人というか、国家を超えたコスモポリタンとしてのエリート。これは白樺派が典型です。そんな中で、政治的に根回しをしたり、おカネを集めてきたり、といった政治家的、経営者的なものは、ある種、疎外されていました。 昭和の10年代に、三木清は、政治を軽蔑して文化を重んじる文化主義的に偏向した教養主義を、明治の福澤諭吉をはじめとする言論人や経済人の教養思想への反動としてとらえました。彼の「読書遍歴」という文章の中ではこう書かれています。「この教養の観念はその由来からいって文学的乃至哲学的であって、政治的教養というものを含むことなく、むしろ意識的に政治的なものを外面的なものとして除外し排斥していたということができる」と。 大正時代、あるいは戦前の教養の特徴は、実用的な知識をものすごく軽蔑していたことです。それは教養を考えるときに、とてもいびつなことだと思っています。つまり、庄屋の人たちが代々血を出さずに店を守っていくときや、あるいは渋沢栄一が典型ですけれども、この国に本当に必要な環境、施設、機関が何かを考えて、ビジネスを起こしていくときには、ものすごく教養が働いていたはずです。それなのに、戦前の教養主義は、ある種それを侮蔑していたのです。 もうひとつ、これは東大の苅部直教授が言っていましたが、戦前の教養主義の教養はすごくドイツ的で文化偏重の教養。だからデカンショ、ゲーテ、シェークスピアといった話になってくる。「文明」に対する「文化」(クルトゥーア)の偏重です。 それに対しフランスでは、市民教育の一環としての教養がすごく大事にされていて、教養教育の主眼は、市民としての成熟(シトワイアン)、よき優れた市民になることに置かれています。日本の教養主義の中には、そうしたフランス的教養というものがあまりない。今でも、フランスに行ったら高校で哲学の授業をやっていますし、行政のプロを養成する大学院でも哲学論文が必須となっています。 彼らにとってはよき市民をつくる、その人たちからよき政治家を生み出すという意味で、政治的な手法なども含めて教養だという概念が浸透しています。だから、フランスの政治家はシラクもそうですけれども、ものすごく教養があるじゃないですか。日本についても詳しいですし。 山折:ミッテランもそうでしたね。
ジェントルマンシップという教養
鷲田: イギリスの場合には、シトワイアンはないですが、ジェントルマンシップがあります。ジェントルマンというのは、姿勢そのもの。それこそ日本の明治までの教養のように、しゃべり方とか、服装とか、スポーツとかにまで浸透している独特の教養概念です。だから苅部さんが言うように、日本の教養主義というのは、文化偏重のドイツ型の教養に過剰な影響を受けてきたのではないかと。 山折:それは、私もそう思います。つまり、戦前の旧制高校的教養というのは、基本は確かに文化、ドイツ文化中心です。観念的でロマンチシズムが非常に濃厚ですよ。 鷲田:理想主義的で。 山折:そう。それに対して、フランス文化は今おっしゃったとおりですね。 最近、必要に迫られて、岩波文庫の『世界憲法集』という本を読みましたが、アメリカ、フランス、中国、韓国、ドイツ、カナダが取り上げられていて、最後に日本が出てきます。その中でフランスの憲法だけは、ほかの諸国とは違う点がありました。それは、シトワイアンです。国民と市民という言葉を使い分けているのはフランス憲法だけ。ほかの国は全部国民ですよ。 鷲田:日本が典型ですね。 山折:とりあえずピープルです。だから、なぜフランスはこれほど国民と市民を厳密に使い分けているのかを分析する必要があります。やっぱり基本はフランス革命の人権宣言から出発しているのでしょうね。 それから、イギリス的教養については、英文学者の池田潔さんが書いた『自由と規律』(岩波新書)を読むとよくわかります。イートン、ハーローといったパブリックスクールの教育は、昔の修道院教育をモデルにしています。徹底した禁欲と抑圧とコントロールの下に、3年なり5年なり修道院的な修道僧的な生活を強いられます。 ところが、そこを卒業してオックスフォードやケンブリッジに入ると、途端にジェントルマン扱いされるようになる。この落差がすごい。その落差を教育のプロセスの中に組み込んだことがすごいと思います。 やっぱり少年の時代は、ややもすると野生化する。イートンやハーローの教育というのは、放縦に流れやすい人間を徹底的にたたきのめすという思想です。そこをくぐり抜けた人間が一人前になる、ジェントルマンになる。そうした思想は旧制高校にはありません。よく旧制高校の教養の基礎に、英国流パブリックスクールの教育があると言いますけど、誤解も甚だしいですよ。外交官に見る、日本型エリートの弱点
山折:日本の教養主義は、ドイツ的な教養だけを一方的に取り込んでしまった面があります。 鷲田:それが戦後にもそのまま引き継がれています。教養の概念は戦前と戦後では全然違いますが、だんだん「知識としての教養」になっていったという意味では、連続性があるような気がします。「お前、あの本読んだか?」という感じでしょう? 山折:「読んでいる、読んでいない」「知っている、知らない」というのがコンプレックスの原因になってしまう。つまらない競争をやっていたものだと思いますよ。 非常に誇張した例ですが、外交交渉の場で、日本と欧米の外交官の教養の差が歴然と現れるとよく言われます。日本の帝国大学の法学部を出た外交官は、法律しか知らない。一方、イギリスやアメリカの外交官は、法律のほかに文学、哲学、芸術の世界を知っている。これでは勝てっこない。 知識として受け入れているだけでは、外交交渉の修羅場ですっとその言葉が出てこない。経済的な問題を議論しているときに、自然とシェークスピアや聖書の一節が出てくると強いですよ。 鷲田:それは、権力ではなくひとつの権威になりますね。 山折:知的権威と言ってもいいでしょう。日本にも、明治時代には、万葉集や源氏物語や方丈記の言葉をすっと出しながら、外交交渉に臨む外交官がいたかもしれない。小村寿太郎は、そういう身体化された教養をバックにしていたような気がします。教養の欠如に加えて、日本の外交官は専門性もあまり感じられない。 鷲田:日本の外交官は、いちばんエリートは大学中退でしょう。大学時代に試験に合格して、そのまま大学を辞めてしまうので学位がない。それに対して、海外の外交官はほとんどが博士号を持っています。ある中退組の外交官が「あれは格好悪いし、恥ずかしかった」と言っていました。 山折:学生のうちに、試験に受かって官僚になるのは秀才かもしれないけれども、教養を身に付ける時間はないわけですよ。すぐ専門的な技術を身に付けないといけない。 鷲田:そして何より、ドクターを取る過程で体にしみ付く身体知がある。いろんな物を読んで、ああでもないこうでもないと考えながら論を組み立てて、長い論文を書くトレーニングを積んでいるかどうかで、大きな差が出ます。 山折:そうですね。 鷲田:英語ができるか、できないかという話ではないんですよ。フランスではなぜ哲学が必修なのか
鷲田:もうひとつ面白い話をしますね。 1980年代に、フランスの高校で哲学の勉強をどういうふうにやっているかを調べたのですが、文系の大学に進む子は週8時間哲学の授業を受けていました。フランスには、ずばり哲学という名前の授業があります。 山折:それはリセ(フランスの後期中等教育機関。日本の高校に相当)の話ですね。 鷲田:はい、リセの最終学年です。週8時間ですよ。理系の大学に行く生徒でも、週3時間哲学が必修になっていました。 当時の政府が、一度、哲学の授業を選択化しようとしたのですが、哲学者を中心に猛反対が起きて撤回させられたそうです。今でもリセでは哲学の授業が必修で、高校でも分厚いテキストを使っています。 そして、フランス国立行政学院(ENA)という、高級官僚や政治家のほとんどが出ている大学院があるのですが、その卒業条件の中には、哲学論文の執筆が含まれていると言われます。 一度、フランス人の知り合いに「なんで高級官僚や政治家になるのに、哲学の論文を課しているのですか」と質問したら、相手はなんでそんなことを聞くのかという顔をして、こう答えてくれました。 「政治家の仕事というのは、少しでも多くの人が幸福感を持てるようなよい社会を作ることにある。社会がよいというのはどういうことか、人にとって幸福とは何か、についての定見を持っていない人間が政治家になったら、大変なことになってしまう」 あまりにも当たり前のことを言われて、質問した自分が恥ずかしくなってしまいました。 山折:それは、そのとおりですな。 鷲田:あまりにもそのとおりでしょう。哲人王とかそういう話ではなくて、まさにシトワイアンとして教養。 山折:その教養の基礎となるものを考え続けると、その考えたことを文章化、表現する力は、哲学の最も大事なベースでしょうね。 鷲田:日本の高校「倫理」社会の授業でも、世界の4大文化や孔子やイエスやソクラテスを取り上げますが、それぞれの地域の思想史といったかたちで、その教説をじっくり知識を考えさせ、教えるわけではありません。 ところが、フランスの哲学の授業には問題集があって、「心と体の関係は?」「人は絶対嘘ついたらいけないか」といった、問いのバリエーションがたくさんあります。そして、その問題集に資料集が付いていて、「この問いに関してデカルトはこう言っている」というふうに、古典も同時に勉強できるようになっています。そういう意味では、日本よりもはるかにましな知識の教育もやっています。フランスが抱える市民と国民の葛藤
鷲田:もうひとつ、授業なのかトレーニングなのかわからない、コント・ランデュというものがあります。これは何かというと、講演を聴いたり、先生の授業を受けたりしたときに、演者あるいは教師が話したことを、その話の中で使われなかった言葉で要約する練習です。要するに人のまとまった話を聞いて、それを文字どおり書き写すのではなく、自分の言葉で要約するわけです。 このやり方は功罪相半ばするところがあって、「何でも自分流に理解してしまう」という罪もありますが、「自分とは異質ななじみのない人の考え方を、無理やりにでも自分の中にねじ込んで、ものを考えるときの筋道を広げていく」という功もあります。 以前、フランスの大学に行ったときにちょっと授業をのぞいたら、美術史の授業なのに、みんながずっとノートをとっていました。「フランスも丸写しの授業になったのか、情けないなあ」と思ってふと考えたら、「でもあの先生の早口、写せるはずがないよな」と思って、学生に何をしているのかを聞いたら、要約していることがわかりました。 フランスの大学生は、自分の言葉で要約するトレーニングを高校時代にしっかり積んでから、大学に入ってきています。それはそれで、すごい教育だと思いました。日本では絶対やらないでしょう。山折:授業ではやらないね。だけど、鷲田さんや私自身の個人的な体験のレベルで考えると、みんなそれを無意識にやっているわけだよね。 鷲田:本を読むのは、そういうことですね。 山折:たとえば、いろんな本を読む。そして自分なりの要約をする。自分なりの要約をできないとうまく書けない。引用する際にも、自分の要約が頭に入っていないと、的確な要約はできない。だから、まず相手に則する、あるいはテキストに則した読み方をする。そのうえで自分の個性をどう出すかを考える。そうしたことは、みんなやっていると思います。 鷲田:それを、高校のカリキュラムでやるところがすごい。 山折:確かにすごい。 鷲田:先ほどのシトワイアン教育にもつながる話です。 山折:おそらく国民というのは集合名詞で、シトワイアンというのは一人ひとりの個人名詞ということなんでしょうね。 鷲田:一方で、フランスがしんどいのは、そういうシトワイアンの思想が建て前上しっかり存在することです。 最近フランスでは、アフリカや中東から労働者が多く入ってきていますが、その人たちの多くは、差別的な職業にしか就けずに、右翼化したり、暴力事件を起こしたりしています。そうした文脈の中で起きたのが、例のスカーフ問題です。 スカーフというのは、民族やネーションの印でシトワイアンの印ではない。だから、学校に来るときは、ここはシトワイアン教育の場なのだから、民族や宗教やネーションの印を持ち込んではいけないという言い分なんですね。それはシトワイアン教育だからこそ生まれる葛藤です。私たちはネーションになって、別のネーションを排斥するような行動を起こしてはいけないという、シトワイアンの建て前とぶつかってしまう。 山折:それが迫害、そして友情の問題もかかわるのですね。 鷲田:そうです。だから、今のフランス人にとって、あのスカーフ問題は、抽象的な問題です。自分の中のネーションとシトワイアン、つまりは、国民と市民の葛藤みたいなものがもろに出てきてしまっています。
(司会・構成:佐々木紀彦、撮影:ヒラオカスタジオ) ※ 続きは次週掲載します