活動レポート
山折哲雄 × 上田紀行第3回 西洋に深い影響を与えた、日本人リーダー
- 2013年10月23日
- 有識者対談
山折座長と対談していただく2人目の有識者は、宗教学者で東京工業大学教授の上田紀行氏です。5回に分けて教養と宗教の関係について語ります。今回は第3回です。
※ 対談(その1):教養の出発点は、「日本人とは何か」
※ 対談(その2):日本人の「心イズム」とは何か?
日本は明治維新で複線化をやめ、昭和20年以降に単線化
山折:日本社会が単線化している一方、タイの社会は複線であるとの指摘は、そのとおり。タイの場合、基本的には仏教文明なんですよ。仏教文明というのは、仏教が近代的な文明の中にも入り込み、生活様式の中に入っている。 ところが、同じように仏教の影響を強力に受けながら、日本は仏教文明ではない。日本は徹底した世俗文明です。その違いですよね。 しかし、昭和20年までは日本もたぶん複線構造だった。それを私は「二重構造」と表現してきました。「和魂漢才」は二重構造です。和魂が生活の基軸を成していたにもかかわらず、日本はさっさと仏教文明であることをやめた。いつやめたかというと、明治維新のときです。 そこで単線化が始まるのですが、ベースのところには残し続けた。それは福沢諭吉しかり、松下幸之助しかり、起業家で成功した人はみんな残している。ただ、限りなく単線化に近い形で残していった。完全に単線化したのは、やっぱり昭和20年以降だろうな。ジャヤワルダナが日本を救うために名演説を打った理由
上田:そうですね。スリランカのジャヤワルダナ大統領(任期1978~89年)がサンフランシスコ講和会議(1951年)のときにスリランカ(当時セイロン)代表として出席しました。当時はまだ若い大蔵大臣だったのですが、みんなで日本の自由を奪おうという雰囲気の中で、ジャヤワルダナが一世一代の名演説を打ったんです。 ブッダの言葉を引用しながら、「私たちは日本に対する賠償請求権を放棄する。ぜひ日本には寛大な措置をお願いする」と。それがすごく感動的な名演説だったので、会議の雰囲気が変わったと言われています。 まあ、裏では日本をどうするかはかなり決まっていたので、その演説だけで雰囲気が変わったというのはどうなのかなとも思いますが。 そのジャヤワルダナは、スリランカでは日本を助けたことで非常に有名で、あのときの恩義を日本人は忘れていないから、今、スリランカにこんなに経済援助をしてくれるのではないかと思っています。 これは笑い話ですが、日本に来て山手線に乗ると、「JR」と書いてある。ジャヤワルダナの名前は、ジュニアス・リチャードという。「JR」です。日本人は恩義を忘れないために、すべての電車にジャヤワルダナのイニシャルを打ち込んでいるんだとスリランカ人は勘違いする(笑)。それぐらい、日本を助けたジャヤワルダナの話を知っているのです。 では、ジャヤワルダナがサンフランシスコ講和会議で語った演説を読みますね。「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」というブッダの言葉を私たちも信じます。これはビルマ(現ミャンマー)、ラオス、カンボジア、シャム(現タイ)、インドネシア、セイロン(現スリランカ)を通じて中国、日本にまで広まって、共通の文化と遺産をわれわれは受け継いできました。
この会議に出席するために途中、日本を訪問しました。その際に私が見いだしたように、 この共通の文化はいまだに存在しているのであります。そして、日本の指導者たち、すなわち民間人のみならず、諸大臣から、また寺院の僧侶から、私は一般の日本人はいまだにあの偉大な平和の教師の影響を受けており、さらにそれに従おうと欲しているという印象を得たのであります。
われわれは彼らにその機会、つまり彼らにまた仏教を推し進めるという機会を与えなければいけません。だから、日本をゆるそう!
……こんな演説を打ちました。サンフランシスコ講和会議に行くときに、直通でサンフランシスコまで飛べないので、日本を経由して行った。そのときに誰に会ったのかが問題です。どうも鎌倉に行ったらしいのです。
そして、ジャヤワルダナが1979年に再び日本を訪問したときに、日本の恩人だということで宮中の晩餐会が開かれました。1951年からもう30年近く経っていましたが、ジャヤワルダナ大統領は天皇陛下の前でもう一度、こんなスピーチをしています。
この会議に出席するために途中、日本を訪問しました。その際に私が見いだしたように、 この共通の文化はいまだに存在しているのであります。そして、日本の指導者たち、すなわち民間人のみならず、諸大臣から、また寺院の僧侶から、私は一般の日本人はいまだにあの偉大な平和の教師の影響を受けており、さらにそれに従おうと欲しているという印象を得たのであります。
われわれは彼らにその機会、つまり彼らにまた仏教を推し進めるという機会を与えなければいけません。だから、日本をゆるそう!
あなたたちは戦争が引き起こした惨事に苦しんでいました。いくつかの都市は完全に破壊され、東京も半分以上が破壊されていました。私はいくつかの寺を訪ねて仏教指導者たちと会いました。私は、当時から禅の世界的権威とされていた鈴木大拙教授とお会いしたことをよく覚えています。
私は鈴木教授に、日本の方が信仰している大乗仏教と、私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。すると教授はこう言いました。なぜあなたは違いを強調しようとするのでしょうか。それよりも、私たちはどちらも仏法僧を護持することで共通しており、無常、苦、無我を悟るための八正道を信奉しているではありませんか。
私は日本の仏教徒とスリランカの仏教徒を結びつける強い絆があることを感じました。
……ジャヤワルダナは鎌倉で鈴木大拙やお坊さんたちに会って、ものすごく感動したのです。それでこの仏教の伝統を絶対に消してはいけない。われわれは仲間なんだと演説を打ったんですね。
そこで、私がまず言いたいのは、外国の大蔵大臣や大統領を感動させられる宗教人が、当時の日本にはいたということです。
ところが、これにはもうひとつオチがありまして、ジャヤワルダナのスピーチの続きです。
私は鈴木教授に、日本の方が信仰している大乗仏教と、私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。すると教授はこう言いました。なぜあなたは違いを強調しようとするのでしょうか。それよりも、私たちはどちらも仏法僧を護持することで共通しており、無常、苦、無我を悟るための八正道を信奉しているではありませんか。
私は日本の仏教徒とスリランカの仏教徒を結びつける強い絆があることを感じました。
私が1968年に再び日本を訪れたとき、あなた方は以前と変わって物質的にとても繁栄していました。今日では日本国民は奇跡の復活を遂げ、国は富み、経済的には世界をリードする国のひとつとなりました。
しかし、私たちが知っているように、それだけが文明ではありません。私たちの周りにある、人によって建てられた偉大な建造物がひとかけらもなく消え去ったとしても、私たちがちょうど28年前に、サンフランシスコにおける演説で引用したブッダの言葉は、人々に記憶されていることでしょう。
ほかのあらゆる国々と同様に、日本においても壮大な権力がその必然的な終わりを迎えたとしても、あなた方の寺院から広まった理想や、あなた方の僧侶が実践した瞑想と敬虔な言葉は記憶され、そして、来るべき世代の人類の型をつくっていくことでしょう。
……これは皮肉を言っているのです。日本はこんなに発展したけれど、あのときの鈴木大拙の言葉は生かされているのかと。
実はジャヤワルダナはこのときにもう一度、日本の代表的なお坊さんたちと会って話をしたいと言って、その会合が持たれました。
ところが、そこに集められた各宗派のトップのお坊さんたちがどうしようもなかった。ジャヤワルダナが仏教的な話をしても全然答えないし、宗教性のかけらもなくて、それはそれはひどい会合だったという話です。終戦後の緊張感も失われ、仏教で衆生の苦しみを、世界の苦しみを救っていこうという、熱き宗教心もなく、自分たちは宗派のトップに上り詰めた高僧で、日本はどんどん豊かになり、何も問題ないじゃないかという、人間として緩みきった姿しかそこにはなかった。
ジャヤワルダナは、28年前には鈴木大拙の話を聞いて感動したのに、日本はいったいどういう国になってしまったのかと。あのとき、皇居の周りは焦土と化していたけれども、仏教の精神性はあった。しかし、今は立派なビルが建ったのに、いちばんトップのお坊さんたちはこんなに堕落してしまったのかと愕然としたらしい。それでこの演説をしているわけです。
ということは、やっぱり昭和20年にはまだ複線があった。けれども、坊さん自らカネが儲かればいい、檀家さんからカネが入ってくればいい、そして自分の地位が上がっていけばいいというふうになってしまった。まあ、そうでないまともな坊さんもたくさんいますが、宗派のトップに上がっていくような坊さんは、意外とそういう俗物タイプだったりもするので、日本人はそれを見てますます信仰心をなくしていった。宗教が世俗化して、カネがほしいからやっているんでしょう? 戒名をつけたり、いろいろして儲かるからやっているんでしょう?と。
少なくとも都会においては複線の1本が崩壊して、単線化しました。
しかし、私たちが知っているように、それだけが文明ではありません。私たちの周りにある、人によって建てられた偉大な建造物がひとかけらもなく消え去ったとしても、私たちがちょうど28年前に、サンフランシスコにおける演説で引用したブッダの言葉は、人々に記憶されていることでしょう。
ほかのあらゆる国々と同様に、日本においても壮大な権力がその必然的な終わりを迎えたとしても、あなた方の寺院から広まった理想や、あなた方の僧侶が実践した瞑想と敬虔な言葉は記憶され、そして、来るべき世代の人類の型をつくっていくことでしょう。